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第九百七十二話 日常の罠 [脳内譚]

 通勤電車はさほど混んではいない。混雑を避けて早めの時間に乗るようにしているからだ。乗客がまばらな車両の座席に座る人はなく、座席の上に立って吊革をつかんだ。会社はガランとしていつも通り一番乗りだ。ゆっくりと通勤服から着替えてデスクにつく。そのうち他の社員も出社して急いで制服から普段着に着替えてそれぞれの仕事をはじめた。定時がやってくると上司も姿を現しデスクにつくと、それまで業務についていた部下たちは皆手を止めてそれぞれにやりたいことをはじめた。

 夕刻になって就業時間になると、上司が接待のために夜の街にでかけてしまうと、皆はゲームやいねむりをやめて仕事に取りかかった。これからが残業代を稼ぐ時間だ。私は残業には興味がないので早々に会社をあとにして家路についた。

 家に帰るとさっそく会社から持ち帰った書類を鞄から取り出して、会社ではできなかった仕事に取りかかる。

「あなた、また仕事の宿題ですか?」

 夕食の準備をしていた連れ合いが食卓の上に広げられた書類の山を見ながら言った。なにを今さら? と言おうとして俺はなんだか違和感を感じた。なんだろうこの感覚は。いつからこんな風に仕事を持ち帰るようになったのかな? 家で仕事なんかしても残業はつかないのに。

 日常生活の中にはときとして自分でも気づかない理不尽なことや間違いが潜んでいるものだ。毎日同じことを繰り返していると、感覚が麻痺してしまってわからなくなる。いつだったか、ずさんな処理のために核燃料が臨界状態になるという事故があった。あるいは普通の会社でも本人も意識しないうちに横領を行っていたという話も聞く。善悪の境界線さえも曖昧にしてしまう罠が日常の中には潜んでいるのではないだろうか。

 俺はまだ通勤用の制服を脱いでいないことに気がついた。になってしまう前にセーラー服を脱いで楽な家着に着替えた。相方は昔仕事しているときに使っていた背広を、持ったいないからと家で着用している。なにもネクタイまでしなくていいのにと思うのだが。しかし彼はいつ会社を辞めたんだっけ。俺はいつから自分のことを俺と呼ぶようになったんだっけ。ああそうか、子宮癌が見つかって治療を受けたあたりからだ。俺にはもう子供が産めないのだと宣告されたあのあたりからだ。夫も俺もひどいショックを感じて日常が崩壊してしまったように感じたあのときからだ。

                                                        了


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第九百六十話 漏れている [脳内譚]

 かつて喘息の持病を持っていた。小児喘息ではなく罹病したのは大人になってからだ。毎日咳が出るなあと思っていたらそのうち咳が止まらなくなり、病院を訪ねてみたら緊急入院と言われた。血中酸素が不足しているということで二週間の入院で正常値に戻して退院した。

 大人になってからの喘息は完治しないと言われたが、毎日続けていた薬剤吸入の回数は自然に減っていき、数年後にはいつの間にか喘息の発作は年に一、二度ほど季節の変わり目に軽く咳き込むくらいでほとんど出なくなっていた。

 ところがそんなことも忘れてしまった頃、妙に喉に痰が引っかかるようになった。常にエヘンとかクァッとかいう様はまるで老人になってしまったようで、嫌だった。咽喉科で診てもらっても、アレルギーだと言われその都度投薬はされるもののいっこうに改善しない。このくらいのアレルギー症状は病気扱いされないようだった。同じような症状で困っている人が他にもいるのではないかと考えてネットで検索してみると、ブロンコレアという病名が出てきた。気管支漏といって一日に百ミリリットル以上の透明な痰が出る場合をいい、それは難治病だという。ははぁ、これに違いないと思って医師に訊ねると、「そうですよ、こういうのは全部それです」と、困惑もなく告げられた。

 他人のケースをみても、ほとんどの場合原因は特にわからないらしく、私の場合もアレルギーという得体の知れない原因にされている。気管支漏というくらいだから、粘膜が弱っているかなにかで粘液が漏れているのだろうが、原因不明というのは気持ちの悪いものである。

 皮膚にしろ粘膜にしろ、ミクロで見ると小さな孔が空いているというのは想像できる範疇であるが、本来はそこから体液が漏れたりはしないものだ。どういう仕組みかはわからないけれども、おそらく体液の粒子の大きさよりも粘膜孔の方が小さいからなのだと思う。だとすると、何らかの故障で粘膜の孔が広がってしまったのかもしれない。そこから体液である粘液が漏れ出てしまって、喉のところにたまっていくのだ。医師が言ったわけではないけれども、きっとそういうことに違いないと確信した。

 しかしまてよ、そういうことは喉のところでしか起きないのだろうか? 内耳のあたりで声がした。「それはいいところに気がついたね」だ、誰? 「人間の身体は精神に影響される。精神が弱れば肉体も弱る」それはなんとなくわかるが……「要は君は喉の不調に気づいてしまったんだ。だからますます漏れはじめた」つまりなに?「今度は粘膜全体、皮膚全体に気づいてしまったようだ」ど、どういうこと? だからなに?「残念だけど……これからはほかの部位からも漏れることになったよ。自分でそうしてしまったわけなんだけれどね」ちょ、ちょっと……。

 なぞの言葉を最後に声は止まった。あれは、私自身の肉体の声? そんなことって……そこまで考えたとき、頭の中がぐにゃりとするのを感じた。なに? なんだ? 意識に雲がかかる感じの中で、これは脳が漏れはじめているのだと直感した。

                                                    了


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第九百四十四話 ふたり [脳内譚]

 私たちはいつも一緒だった。同じ音楽を聴き、同じ風景を眺め、同じ人と会い、同じ学校へ通った。たいていは双子みたいに同じように感じ、同じようなことを考えたが、しばしば対立することもあった。まるで反対の行動をとろうとするのだ。私が左手を上げるとあっちは右手を上げる。右に行こうとすると、左に行こうとする。それならお互いにそのように好きにすればいいのだが、あまりにも寄り添いすぎている私たちは混乱し、足をもつれさせてしまう。そんなときは口に出して文句を言う。考えているだけでは相手にわからないからだ。それでも私は口に出すのを我慢することが多かったが、向こうはイラついてすぐに口にした。我慢することを知らないのだ。こんなところにも性格の違いが出るのだろう。

「ちょっともう、いい加減にしてよ」

 いい加減にしてはお互い様なのに、まるで自分だけが正しいかのように言うのだ。まるでわたしが悪いように言われると我慢していた私もさすがに腹が立つ。腹が立つから、いい加減にしてとはこっちが言いたいわと思うのだが、それを口にすると喧嘩になってしまうのは目に見えているので口をつむぐ。黙ってしまうにだ。そうなるともうなにも言えなくなってしまう。私が黙ると、相手も黙る。さっきまであんなに仲良くしていたはずなのに、もはや一言も言葉を発しない。

 一緒にいるのに相手を無視し続けるというのは案外しんどいものだよ。そこにいるのにいないように振る舞うのだから。たとえば私が食事の用意をしても、食べようとしないから困る。ひとりでは食べにくいもの。逆にあっちが用意するときはさっさと自分の分だけ作って食べてしまうから腹が立つ。こんな風に食事ひとつとっても喧嘩をしていては生きにくいのだ。一週間、二週間と黙り込んだまま過ごすのだが、あまりの過ごしにくさにどちらともなく音を上げてようやく元に戻ろうとする。ごめんねなんて絶対に言わない。だってどっちも意地っ張りだから。

 いつからそんなことになったのかというと、たぶん生まれつきとしか言いようがない。特に事故に遭ったとか病気になったとかいうことはないからだ。病気じゃないから医師に相談したこともないが、図書館で調べてわかったことがある。たぶんそういうことなのだろうなと憶測しているに過ぎないのだが。

 人間の脳は右と左に別れていて、それぞれは左半身、右半身と対応している。右脳と左脳は普通、脳梁と呼ばれる神経束で結ばれているが、なんらかの原因でこの脳梁が分断されてしまうと、右脳と左脳はあたかも別人格として機能しはじめる。実際に事故で脳梁を切断されてされてしまった人間が片目を塞いでしばらく過ごしたあと、塞ぐ目を反対側に変えると、その間に出会った人のことがわからないという実験は有名だ。

 ひとつの身体を分断された右脳と左脳が共有している、私たちはふたごでも姉妹でもなく、ひとりの中のふたりなのだ。

                                         了


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第九百三十七話 ヘビーローテンション [脳内譚]

 ラジオをつけたままで仕事をしているなんていうと、不真面目に聞こえるかもしれないが、その方が仕事ははかどる。部屋の中に一人っきりでこもっているのはどうにも寂しいからだ。キャスターのおしゃべりをじっと聞くわけではないけれども、何かしら人の声がしているだけで孤独感から遠ざかることができる。それに流行りの音楽が調子のいいリズムを刻んでくれると、いっそう手作業のテンポが上がるような気がする。実際にはそうでもないのだろうが。でも気持ちよく作業ができるのならそれにこしたことはない。どうせひとつやふたつ多かろうが少なかろうが、たいした金額の違いにはならないのだし。

 昔、夢を見ていたこともあった。詩を書いて曲を作って、ギターを弾きながら歌うシンガーソングライターへの夢。あの頃流行っていた華やかな職業だった。しかしそれはテレビで知ったアーティストに憧れた子供が描いていた妄想にすぎなかった。詩など書けなかった。そんな言葉を持っていなかったから。まして曲など作れるわけがない。親にねだって手に入れた安価なギターも、教則本の半分もこなさないうちに部屋の隅で埃をかぶるようになった。短い指でコードを押さえるのが苦痛だったのだ。それでも安物のギターでなんとかなるような気がしていた安物の夢をいつまでも抱えたまま大人になった。

気がつけば夢は眠っているときですら見ないほど疲れ果て、毎日同じことの繰り返しという仕事に人生を費やし、その挙句会社も首になって、いまはこんな内職仕事で細々と食いつないでいる。内職の中身はその時々によって変わる。封筒リボンで飾り付けることもあれば、ビニール袋に色紙を封入することもある。何も考える必要のない悲しいほど単調な仕事。

ラジオから何度となく同じ曲が繰り返し流れている。これがヘビーローテーションってやつだな。売り出し中の曲を何度も何度もラジオで聞かせて、リスナーの耳にこびりつかせてしまう。こんなやり方でヒットさせてしまおうという手口。歌うことが仕事だなんていいなぁと思う。私に才能があったならなどと、ないものをねだってしまう。それにしても暗い歌だ。こんな歌がヒットするのかしら。もっと明るくて調子のいい歌じゃないと、内職もはかどらないじゃないか。お経みたいに単調で葬送曲みたいにゆっくりとしてこけの生えた岩肌みたいにじめっとした歌。どんどん気持ちが落ち込んでくこの感じ。こんな曲が流行ったら自殺者が増えるのではないかしら。

♫嫌だ嫌だと泣いて暮らす

    それでも陽は暮れまた登る

    おんなじことを繰り返し

     嫌になるまで息をする

ふと思った。これは私への贈り物かもしれない。陰鬱だと思ったが、私にぴったりの歌だ。毎日毎日同じ作業を繰り返す私のテーマソングだ。これはヘビーローテーションではない。私のために作られたヘビーローテンションの歌なのだ。

            了


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第九百九話 書き苦気涸 [脳内譚]

「言葉を正確に記述することこそが、文章を書くことにおける唯一のモラリティーである」

 二十世紀初頭にアメリカで生きた詩人で音楽家のエズラ・パウンドが言ったそうである。見習いの私はこれまでも間違いのない記述には気をつけていたつもりではあったが、改めて自分を戒めるために紙に書いて目の前の壁に貼ることにした。

「言葉を正確に記述する」

 黄色い付箋紙に書いて壁に貼った。デスクの前の壁にはすでに様々な紙が貼られている。ピンクの紙には「文学は格好悪い」、黄色い紙に「形容詞はうざい」「ストーリなど考えるな」これらは最近貼りつけた”書く”ことに対するメモだが、それ以前に貼った黄色く変色した紙には、親を大切にするだとか、余計なことは言わないなどと、人生格言みたいなものも貼っ付けている。まぁ、こういうのは良しとしよう。だが、最近の、書くことに対して戒めたメモはなんだかずっしりと重く、これによってむしろ一文字書くことさえ躊躇してしまう雰囲気を自分の中に形作ってしまった。

 そもそも「言葉を正確に書く」とはどういうことなのだろう。エズラ・バウンドの言葉を紹介している先生は、「正確に書こうと思ったら、言葉はそんなにすらすら書けるものではない」とさえ言っている。それに引き換え私の書き方の軽いこと。これでも私自身は間違いなく書いているつもりなのに。もっと言葉を吟味して、読み返して、言葉を選び直して言い換えて書けということなのだろうか。

「インプロビゼーションのように書く」

 これは別の先生からいただいた言葉だ。前もって考えた言葉が小説の中で使える可能性はゼロに近いという。これには私もいたく共感したから、紙に書いて壁に貼っ付けた。しかし、吟味しつくして書くのと、即興的に書くのは正反対のやり方だ。共通しているのは、どちらも難しいということくらいだ。私はため息をついてデスクに肘をつき、そのままの姿勢で頭を抱え込んだ。ついでに古参作家みたいに紙をぐしゃぐしゃっと掻きむしった。何本かの長い毛がはらりと落ち、ついでに乾いた頭皮が剥がれ落ちた。いや、頭皮が先に落ちたのかもしれないが。

 とにかく、「正確に書く」ことに被れてしまった私はこの時から異常に遅筆となった。いままでは原稿用紙の十枚程度なら三十分で書きあげていたのに、いまや一文字数分だ。ここまで書いてきたこの文章も、三日はかかっている。いったいどうしたというのだ。正確に書くとはこういうことなのか。ここまでの記述をすべて選択して削除ボタンを押したい衝動に駆られる。しかしそんなことをするとこの三日間が無になってしまう。それでもいい。そうすることの方が大事なんだ。先の先生がそう言っている声が聞こえる。だめな文章を後生大事に持っていても仕方がない。ある芸術家は過去の作品すべてを破棄して新たな創作に臨んだという。文章だって同じ。駄文はあくまでも駄文だ。

 もし明日、いま読んでいるこのページが真っ白になっていたとしたら、それは私が自分の駄文をはっきりと認識し、正確な文章のための次の動作に入ることができたということだ。だが、そうでなければ……このページがこのまま存在し続けていたとしたら……私はもう、書くことを諦め、ほかの何かをするために、どこかに足を運んでいる最中かもしれない。

                                               了


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第八百八十七話 小説至難 [脳内譚]

 もうストーリーを考えるのはやめよう。今野文学は思った。小説を読んでも、映画を観ても、自分が面白いと思うのはそこに描かれているストーリーだと思っていたし、いくら素晴らしい文章や映像であっても、ストーリーがつまらなければそれは駄作であると信じていた。だけど今やそれは間違いで会ったことに気づいてしまった。今野はこのところ小説というものを書いてみたいと努力をつづけているのだけれど、数枚書いては躓いてしまう。書けなくなってしまう。小説は書き出しが大事だと言われているのだが、今野は頭の中に思いついたことをすぐ書きはじめることができた。しかし、ある程度書き進むと、そこから先には進めなくなるのだ。ストーリーが作れない。自分で面白いと思える物語が浮かばない。自分が読む小説や映画に対してだけ厳しいというわけにはいかないのだ。もしいま書いている最中の作品ができあがったとして、それを読んだ自分は面白いと思えるだろうか。いいや。こんな自問自答を繰り返すばかりで少しも先に進めないのだ。

 思いあぐねた今野は、なにか指南本でも読んで勉強しようと考えた。いくつかの「小説の書き方」を指南する本を読んでいくうちに、墓嵯峨渇児という自分と同世代である作家が描いた「牡蠣飽くね手入れ碑との小説」という妙なタイトル入門書に出会った。この人が書いている指南は、他の入門書とはかなり趣が違っていて、そもそもこの墓嵯峨という人が書く小説自体が少々変わっているのだが、今野はすっかりこれに毒されてしまったのだ。というよりも、小説初心者である自分が常々感じていたことや薄々思っていたことにかなり近いことが並べられていたことにいたく感激してしまったのだ。

 小説とは何か、小説を書くということはどういうことなのかをいつも考え続けることが大事だと言う。なんだ、それは日々考え続けていることじゃないか。今野はすぐに飲み込んだ。小説というものは物語ることではないと書かれてあれば、その通りだと思い、テーマなど考えてはいけないとあれば、その通りだと信じた。人物を形容詞で表さない。余計な修飾をしない。風景描写を一生懸命に書く。テクニックなどいらない、等々。

 わかった。ぜんぶ正しかった。日々俺が思っていたことは、間違っていなかった! 今野はすっかり嬉しくなって読み終えるのも待ち遠しく、パソコンに向かって書きはじめるのだった。

 俺はあまりにも疲れ果てて歩くのをやめようかと思っていた道の途中で、とにかくいったん立ち止まってあたりを見回した。目の前にはかなり急高配のアスファルト道路がまっすぐに続いていて、先の方は車や建物に遮られてよくわからない。立ち止まったまま見上げると青空の中に銀色に塗装された信号機が長く伸びていて、こちら側に赤い光を見せている。その脇には幾筋もの黒い電線が垂れ下がりながら道と並行して走っている。よく見ると、向こう側にもその隣にも、つまり四つの角すべてに信号機があって、それぞれの役目を果たしている。銀色の柱の足元には太い白線が道の上に描かれていて、人や車の立ち位置を決定している。俺もちょうどその白い線の手前のところで立ち止まっているわけだが……(中略)……側溝の淵を歩いている蟻の行列は俺と同じ方向に向かっていて、やがて蟻は蟻は、蟻ありあ、、、、、、、

 わが意を得たりと信じた今野は、いつまでもいつまでも主人公が立っている道の風景を書き続けていたが、道の端に見つけた蟻の描写をはじめたところで眠気に襲われ、蟻の行列が道を渡りはじめる前に不覚にも深い眠りに落ちてしまったのだった。

                                        了


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第八百六十八話 健診の日 [脳内譚]

 うちの会社では、年に一度従業員のための健康診断が実施される。以前は近隣の病院にまで足を運んで健診を受けていたのだが、比較的従業員数が多い会社に倣って、検査技師が会社に大挙してやって来て行うという形になってからもう何年もたつ。会議室が検査スペースに変わって、従業員は順次そこに集まって健診を受けるのだ。わざわざよそに行くことを思えば、いつもと同じように出社すればいいので不安にならなくてすむ。

 ところが、私は去年から、この年に一度の健診を苦に思うようになった。身長、体重の測定、視力、聴力検査、そこまではいいのだ。その次に測る血圧でまず躓く。私の血圧を測った検査員が必ず「あれ?」と首をかしげるのだ。「故障かなぁ? すみません、もう一度測ります」結局機器の調子が変だということで、とりあえず次の検査に行かされる。骨粗しょう検査や腹部エコーも問題ない。だが心電図でまた躓く。検査員はまたしても首をかしげておかしいなと繰り返す。それと血液検査も後日悪い結果が知らされて、再検査という運びになるのだ。

 再検査ということはどこかが悪いに違いないということだから、それだけでストレスになる。もしや癌ではないか、もしや糖尿病ではないか? そんな不安と共に数値が知らされるわけだ。こんな結果が出るようになってから、私はいわば健診恐怖症のようになってしまっている。健診のために並ぶだけでも苦痛だ。

「あの、問診の先生からお話があるようです」

 心電図で首をかしげていた検査員が私に告げた。

 健診の最後を締めくくるのがこの問診というやつで、基本的には問診票に自分で書き込んだ内容を医師に見せながら、相談をするという機会なのだが、今回は医師の方からきりだしてきた。

「最近、変わったことがあったんじゃないですか?」

「変わったこと? 別に……」

「そうですか。自覚はないんですね」

 医師は私の腕を取って注射針のようなものを取り出した。

「痛みがあったらいってくださいね」

 医師が私の腕に針を突き刺したが、私は何も感じなかった。

「先生、最近の注射針はよくできてますねぇ。細くなりすぎて、痛みを感じさせない……」

 医師は黙って私の表情を見ていたが、こわばった表情を努力して緩めながら言った。

「率直に申しますが、これは針のせいではありません。あなたが痛みを感じていないということなんです。いやそれだけじゃない、血圧もゼロ、心電図もなし、瞳孔も開いたまま……どういうことかわかりますか? あなたは生きていない。死んでいるんですよ」

 またか。去年も同じようなことを言われた。でも私はこうしてここにいるじゃないか。何を馬鹿なことを言っているんだ。人のことを死人扱いしやがって。こんなことになるから私は健診恐怖症になってるんだよ。もし、他の人間に私が死人と同じ結果を出しているなんて知られたら、気持ち悪がられるではないか。

 とにかく、はぁ、そうですかと力なく答えて問診室を後にしたのだが、今回はこれで終わったが、また来年同じようなことが起きるかと思うと、今から健診が嫌で仕方がない。もう、来年の検診は拒否しちゃおうかな、私はそう思いながら仕事に戻った。

                                了 


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第七百八十八話 自縛テロ [脳内譚]

「おい、いいか、あいつらのせいで俺たちはこんなことになっているんだ。わかってるか?」
 妙な良心が働いて躊躇している俺に業を煮やしたリーダーが言った。
「もちろん、わかってるつもりだけれど」
「つもりだが、なんだ?」
 こんなことをして何になるのかと言いたかったが、いまここでそんな議論をしても何もいいことはないと思いとどまった。
「いえ、すみません。考え違いしてました」
「わかってくれるのなら、それでいい。いまここでみんなの気持ちが薔薇払いなっては困るのだ」
 表面上は納得したような顔をして、俺は皆のいちばん後ろについた。リーダーの号令で皆それぞれの持ち場について、俺たちの聖域を荒らしにやってきた人間どもをそれぞれのやり方で吹っ飛ばし、奴らは幸いにして命までは失わなかったものの、這々の体で逃げていった。
「ふふっ。非力な奴らだ。俺たちの手にかかったらあんな奴ら……」
  サブリーダーが言うと、皆も奇声を上げて勝利を喜んだ。そうだ、ここは俺たちサンクチュアリ、聖域なのだ。それなのに奴らは土足で上がり込んでくる。何度 痛い目にあわせても、次には新手の人間を送り込んでくるのだ。もういい加減にすればいいのに。そのうち命を失うことにもなりかねないのに。
  もう忘れてしまっていたが、俺だって最初は向こうの側にいたはずだった。いや、少し違うな。あいつらのように土足で聖域を踏みにじるようなことはなかった はずだ。おれは実態調査のためにここに来た。調査部隊の一員だった。いまとなってはそんなことも忘れてしまっていた。あまりにも長い年月が過ぎ去ってし まったので、おれはもう最初からここにいて、ここの者どもと同じ仲間のように思い込んでしまっていた。だが、聖域を荒らしに来る連中を痛めつける度に、な んらかの違和感を感じている自分に気がついて、こんなテロリストみたいなことに手を出すのを憚るようになっていたのだ。何故だろうと自問自答しているうち に、大昔の自分の姿を思い出した。あのとき、ここにやってきた俺は、 あまりにも深みに入り込みすぎて、ここの連中に共感してしまった。ここれテロを行い続ける者にも、ちゃんとそれなりの理由があるのだ。相手には理解できな いような悲しい歴史があるのだ。つまり、立場の違いというやつだ。向こうから見れば忌まわしい敵かもしれないが、こちらから見れば向こうこそが忌まわしい 敵なのだ。そんなことを思ってしまった俺は、いとも簡単にこちらの世界に取り込まれてしまった。以来、俺はこちらの世界に住みつくようになり、もはや向こ うには帰れなくなってしまった。どうせ向こうにもなんの未練もない境遇だったから、どちらでもいいと、あのとき思った。
 テロなんて言葉、最近流行っているからついそう呼んでしまったが、実際にはそうではない。そうではないが、己の聖域を守る聖戦という意味では非常に似通っているような気もするのだ。
  奴らはまた新たな人間を送り込んでくるだろう。しかしそれは、俺がそうだったような良識による者ではない。単に好奇心や不埒な遊び心でやってくるだけだ。 彼らに思想はない。相手を思いやる心もない。なぜここに来るのかという学識もない。何もない。そんな奴らが冷やかし半分でやって来ることには腹が立つし、 追い払ってやろうと思う。
 なぜ奴らは、どうしてこちらの安らかな気持ちを揺さぶろうとするのか。死者への畏敬の念を持つという発想がなぜないのか。向こう側の人間と、こちら側の立場、両方を知っている俺の心はそうやって常に揺れ動いているのだ。自分が地縛霊になってしまっていうことを忘れて。
                                了
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第六百七十九話 心の病 [脳内譚]

 最終電車に乗り遅れそうになって、駅まで小走りに走ったら、息が切れてし

まって吐きそうになった。こういうことははじめてではない。このことを同僚に

話すと、それは歳のせいだと笑われた。確かに四十も過ぎるとそういうことも

あるだろうとは思うのだが、本当に年齢のせいなのだろうか。

 なぜ、歳をとると息切れがすると思うのか、それがわからない。運動不足

ということならばわからないでもないが、オレは毎夜、家の近所でジョギング

て運動不足にはならないようにしてきた。だから運動不足ということはないは

ずだ。歳をとって体を動かさなくなったために心臓も弱くなり、息が切れるとい

う理屈ならわかる。だが、その理屈はオレには当てはまらない。いや、だから

こそ歳を重ねて心臓もくたびれているんだというかもしれないが、四十歳そこ

そこで、そんなことがあるか? オレはとても納得できない。

 では、どういう理由なら納得できるのかと考えてみた。考えられるのは、ひと

つ。なんらかの病気に罹ってしまったのではないかということだ。身体の異変

が、病気のせいだというなら、わかる。仕方がないなと思う。

 心筋梗塞? あり得る。心不全? 狭心症? まさか。しかし、心配になったの

病院で検査を受けてみた。だが、なんの異常も見つからなかった。医師は、

何も心配いらない、加齢のせいですよと言った。

 ほんとうなのか? 医師が少し言い淀んだような気がしたが、あれは気のせ

いか?痛みもないし、普段は苦しくもない。医師が何かを隠しているとすれば、

考えられるのは、癌だ。オレは癌なのではないだろうか。心臓癌。いや、きっと

そうなんだ。翌日もう一度病院に行き、心臓癌ではないのかと、医師に問い詰

めた。

「あのですね、今日まで心臓に癌を患った人間は、例外を除いてほとんどいま

せんよ。心臓癌というものは、基本的にはこの世にないんです」

 医師の言葉に驚いた。この世に心臓癌はない? 確かにオレも聞いたことは

ない。だが、今までなかったからといって、これからもないとは限らないではな

いか。医師だって科学者の一人だろう。そんな人間が、過去にとらわれた考え

方をしていていいのか? オレは思った。過去心臓癌患者がいないというなら、

オレが最初の心臓癌患者になってやろうじゃないかと。あなた、面白い人です

ねぇ、医師はそう言った。心臓癌など見つけたら、ノーベル賞ものですよ。とも

言った。オレは言った。わかったよ、先生。では、オレは心臓癌患者になって

ノーベル賞をとってやろうじゃないか。 医師が言った。

「あなた、無茶苦茶ですね。そんなことを言う患者さんははじめてですよ。あ

なた、むしろ脳に腫瘍でもできているんではないですか? MRIで調べてみ

ますか?」

 とうとう言いやがった。脳腫瘍、つまり脳の癌なんだな。しかし、脳の癌で、

息が切れたりするものなのか? それに脳腫瘍なんて珍しくもないから、有名

になれないではないか。やはりオレは。

「先生、やはりオレは、脳腫瘍ではなく、心臓癌という方向でお願いします」

 医師はもはやオレの方にも向かずに、あんたいったい何がしたいんだとつ

ぶやいた。

                            了


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第六百十五話 アイデアが浮かぶ瞬間 [脳内譚]

 夢見杉菜は作家になりたいと夢見ているアマチュア小説家だ。とはいうもの

の四十を過ぎるいままで何か創作めいたことをしたのかというと、まったく何も

しなかった。仕事や家事、子育てで、何かを書くというような余裕がなかったと

自分に言い訳をするのだが、ほんとうはそんなもの理由になんかならないこと

は知っている。本当に書きたい気持ちがありさえすれば、どんな障害があろう

と書くのが作家というものだと思うからだ。だが、いまは違う。思い入れるのが

遅すぎかもしれないが、いまはなんとしてでも何かをひとつだけでも書き上げ

てみたいと思っているのだ。だが、何を書けばいいのか、どう書けばいいのか、

机の前に座ってパソコンワープロソフトを立ち上げるたびに困ってしまう。こ

うして未だにパソコン画面は真っ白なままなのだ。

 それでも杉菜は日夜考えている。何かいいネタはないだろうか、何か素晴ら

しい創作アイデアが芽生えないだろうか。はっと思いついては、書き出そうとす

るが、一行目から書き出せずに苦悩する。こんなことでは何も書けない、そう

思ってその思いつきを断念して、もっといいアイデアを考えはじめる。

 アイデアというものは、夜、ベッドの中で思いつくことが多い。だが、それを枕

元に置いた紙にメモをしておくと、翌朝起きてからがっかりさせられる。何が、

どこがいいアイデアだと思って書いたのだろうと思うような落書きばかりだから

だ。”死んだ父親が海坊主””星空から落ちてきたのは自分””彼と彼女の不毛

な関係”などなど、何が何やら訳がわからない。

 有名なクリエイターが何かで書いていた。いいアイデアというものは、紙にな

んて書かなくても、翌朝になってもなお頭の中に残っているものだと。それを聞

いた杉菜は共感した。本当にそのとおり。紙にメモして置いた落書きなんて、と

んでもないわ。私も頭の中に刻み込まれるようなアイデアを考えるようにしよう。

 それからは枕元に紙を置くことを止めた。だが、そうすると今度は、朝起きても

何も残っていないのだ。夕べは確かにすごい思いつきだと思った。これなら翌朝

になっても忘れない、そのくらいのアイデアだ。また、そのようなアイデアが浮か

んだときには、眠りにつく前に何度も何度も頭の中で反芻して、忘れまいと脳に

刻み付ける。それなのに、翌朝になったらきれいに忘れ去っている。ああ、もっ

たいないことをした。せっかくいいアイデアを思いついたのに。こう思ってしまう

のだが、いやいや、翌朝忘れてしまうアイデアなど、メモしていたとしてもろくで

もないものだったに違いない。だが、何かいいことを考えついたのだという思い

ばかりが頭の中に残っていて残念でしかたがないのだ。

 夕べ思いついたのはなんだったっけ。何かすごいアイデアだったんだけどなぁ。

一日中そんなことを考えて過ごす。そして夜になってベッドに入る。不思議なこと

に、しばらくすると思い出すのだ。そうだ、夕べ思いついたのはこれだ! そして

今度こそは忘れまいと、再び何度も何度も反芻して脳に刻み込ませる。眠りに

就いて翌朝。目覚めたときには、再び何を思いついたのか、きれいさっぱり忘れ

てしまっている。ああ、やはり朝まで覚えていられないような、ロクでもないアイ

デアだったんだなぁ。そう諦めるが、またしてもいい考えだったはずだ。それも

夜には思い出せたではないか。そうした残念だった気持ちだけが尾を引いた一

日を過ごす。夜、ベッドの中で、また思い出す。ああ、これこれ! 私が思いつ

いたすごいアイデアはこれだった! 反芻しながら眠って、また翌朝・・・・・・。

 もう何回こんなことを繰り返していることやら。今日も、夕べは思い出したあの

アイデアを残念に想い続けて過ごしている。きっと今夜、ベッドの中で再び思い

出すに違いない。今夜こそ、枕元にメモを置くか? いやいや、それはやめてお

こう。本当にいいアイデアなら、翌朝になっても覚えているはずだから。

                                了

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