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第九百二十八話 ヘリコ [妖精譚]

  なんでここに住むようになったかって? そんなことわからん。そうじゃろ? お前さん、どうしてこの世界に 生まれてきたのかなんて聞かれて答えようがあるか? 長老はそう答えた。なぜここにいるのか。なぜこの世界に生まれてきたのか。なんのためにここで生き ているのか。確かにそんなことをほじくり返しても答えなど見つからないのだ。

  ただ、今を懸命に生きること。生きるために呼吸をし、ご飯を食 べ、より良い環境にするために努力する。それが私たちに出来る最善の生き方なのだ。私たちが住むこの世界は、ある意味ぬくぬくとして過ごしやすく、危険な 敵もいないから最高の住処とも言えるのだが、ひとつだけ対処すべきことがあるのだ。

「おおい! 大変だ。また酸性雨がやってくるぞ!」

  仲間の一人が大声で叫ぶ。私たちは急いで作業に取りかかる。この柔らかい壁を掘って、削って、酸性雨を回避する。私たちを安全に包み込んでくれている壁の はずなのだが、一日に数回、この壁から酸性の液体が滲み出てきて、それが酸性雨として降り掛かってくる。この酸性雨は我々のみならずここにあるあらゆるモ ノを溶かしてしまう恐るべき液体だ。我々一族は、遥か太古からこの酸性雨を相手に戦いながら生存してきた。戦うといっても雨という大自然の営みを相手にす ることなどできない。大洪水から逃れるように、天から降る雷を避けるように、一族が滅んでしまわぬように環境を改善することが戦いの方法だ。酸性雨を発生 させる壁を掘ったり削ったりすると、そこからは酸性液は出てこなくなる。この面積が増えれば増えるほど、一族が生きのびるチャンスは増すということだ。だか ら私たちは日夜壁を相手に作業を続けているのだ。

 ピンク色をした壁を掘ると、壁の性質が少しづつ変化して酸性雨を出さなくなる。これによって壁はより堅い物質へと変化するからなのだと考えられている。とにかく私たち一族はこうしてこれまで生きながらえてきたのだ。



「ははあ、萎縮性胃潰瘍ですねぇ」

 内視鏡によって映し出されたモニターを見ながら医師が言った。胃潰瘍と聞いて私はぎょっとする。

「胃潰瘍ですか……?」

「ああ、大丈夫ですよ。おそらくピロリ菌がいると思いますね。血液検査で調べてみましょう」

「ピロリ菌……?」

「ええ、胃の中にいる菌です。聞いたことあるでしょ? 胃酸の出る胃の中で唯一生存できる菌ですよ。これが胃壁を傷つけて、潰瘍や癌を引き起こすんですよ」

「ええ!?」

「大丈夫ですよ。抗生物質を一週間飲めば、除菌できますから」

 人類の半分は持っていると言われるヘリコバクター・ピロリ菌というものを、私ははじめて自分のこととして知ることになったのだ。

                                了


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第九百十三話 夢中症 [妖精譚]

 なんでこんなに暑いんだ。じっとしているだけでも体中に汗が流れ出す。八月生まれで暑いのは平気なはずなのに、これほど暑いとちょっと身体が心配になってくる。暑さには平気だと思っているから普段はほとんどエアコンをつけない。うちのエアコンは、夏用というよりは冬の暖房のためにあるようなものなんだ。冬の寒さ、あれは堪える。11月にもなると凍えてしまうんではないかと心配になってすぐに暖房をつけるくらいだ。だが、夏は違う。窓を開け放ちさえずれば、心地いい風が入ってきて、汗なんかすーっと引いていく。いや、むしろあの風の気持ちよさを求めずに冷房をつけてしまうなんて信じられないくらいだ。自然の中で自然の風と共に過ごす、それこそが生き物の喜びだと思うんだなぁぼくは。

 とはいえこの暑さ。昔は日射病に気をつけろなんてよく言われてた。炎天下で帽子もかぶらずに遊んでいるなどとんでもないって、母親によく叱られたものだ。ところが今は日射病なんて言わなくなったようだ。最近聞く熱中症ってやつ。あれは炎天下じゃなくっても倒れてしまうんだってね。太陽の直射を避けて家の中にいてさえ、室温が上がり過ぎて熱中りをしてしまうってことらしい。いまのぼくは冷房もつけずに窓を開け放しているものの、汗がだらだら。まさに熱中症一歩手前ってところではないのかしらん。熱中症の予防のためには水分補給が大事だっていうから、さっきからどんどん水を飲んでいるからまぁ、大丈夫だろうけどね。

 冷房をつける? とんでもない。八月生まれで夏には強いと豪語してるんだから、そんなみっともないことできない。……って表向きは言ってるけど、ほんとうは最近収入がおぼつかなくって、電気代が恐いんだよ。冷房なんてつけはじめたら癖になっちゃうでしょ。最初はちょっとだけって思っていても、冷房の涼しさになれちゃうと、もう少しだけなんて思って、結局一日中、一晩中冷房の中で過ごすようになる。そうして夏の終わりにやってきた電気代の請求書に目を回してしまうのが眼に見えている。だからぼくは絶対に冷房をつけない。どうしても我慢できないときには街に出て冷房が利いている店に入って涼むんだけど、いまは、この窓外の暑そうな日差しを見ると、とてもそんな気にさえなれない。いっそ大雨でも降ってきたらいいのに。いや、どうせ異常気象だというのなら、真夏に雪なんて降ってもいいんじゃないの?

 ふと思いついた真夏の雪という言葉に嬉しくなって窓外に目をやる。と、なんだか白いものがちらちらしている。なんだ? 嘘だろう? いま思ったことがほんとうになったのか? あれは……雪……雪でしょ? ほんとうか? 信じられない。窓から手を差し出すと、掌に落ちて来た白いものは確かに雪だ。温もった掌の上では雪はすぐに溶けて水になってしまったが、冷たさが瞬いて消えたのがわかった。こんなことってほんとうにあるんだ。ぼくは信じられない気持で空を見上げた。雪はますます量を増やしている。天にいる人が間違えたのか、あるいはぼくの思いつきに賛同したのかわからないけれど、とにかく真冬ですらめったにないような大雪の気配だ。これは吹雪くかもしれないな。思っているうちに雪はどんどんベランダにも積りはじめ、階下の通りを見ると、道にも積りはじめていた。なんてことだ。こんなことってあるのか? 雪はあっという間に通りを隠し、世間を真っ白に塗り替えていく。

 こんなことってあるのか? これだけ大吹雪で雪が積もっているのに、ちっとも寒くない。寒くないどころかいつまでたっても暑くて汗が止まらない。おかしい。何かがおかしい。これって……もしかして夢じゃないのか? 涼しさを求めるあまりにぼくは夢をみているんじゃないの? 雪なのに寒いなんて!

 目を開けると白い服を着た人が覗き込んでいる。気がつきましたか? もう大丈夫ですよ。何が? 何が大丈夫なの? ここはどこ? 家じゃないの? ははぁ。白い服の人は看護師だ。だとすると、ここは病院? 窓外に目をやる。まだ雪が降り続いている。なんだ? 夢じゃなかったのか?

「いま身体を冷やしていますからね、もうすぐ正常に戻りますよ」

 正常に? 戻る? 何から?

「ぼ、ぼくはもしかして熱中症に?」

「心配しなくていいですよ。熱中症ににていますけどね、あなたは夢中症で運び込まれたんですよ。こうあってほしいっていうのが夢になって、余りに思いが強すぎるとね、その自分の夢に中ってしまう症状の人が、ときどきいらっしゃいます。そういうのを夢中症っていうんですよ」

                                                      了

 


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第九百八話 酷暑日 [妖精譚]

 環境汚染のために地球温暖化が叫ばれていたのはもう随分と過去の話だ。あの頃はまことしやかに二酸化炭素の増加によって温室効果が生まれて、北極の氷が溶けてしまうだの、それによって海洋の水位が上がって世界中が水浸しになってしまうだの言われていたが、今となってはそんなことはささやかなことだ。

 アメリカで五十度という気温によって人が死んだ、そしてオーストラリアのど真ん中では五十四度という驚愕の気温が観測されたあの日、思えばあれがはじまりだったのかもしれない。それはもはや地球温暖化とかオゾン層の破壊とか、そんなレベルの話ではないことに、すでに各国の上層部は知っていたはずだ。庶民には単に異常気象として伝えられ、各地で熱中症による死亡者が出ていても、それは止むをえない現状であると思われ続けた。人々はただただ暑い暑いとぼやきながら季節が移るのを黙って耐えていったのだ。

 翌年の夏はさらに高気温が記録され、その記録はその後も年々更新されていった。

 五年後、人々はようやく太陽が膨張していることに気づきはじめる。それは日の入りの太陽が大きく見えるような見え方の問題だろうとごまかされ続けてきたが、アマチュア天文学者が、明らかに太陽の直径が1.2倍ほどになっていることに気がついたのだ。そしてアメリカを皮切りに各国政府が宇宙開発を急いでいる事実を公表しはじめた。

 それは数年前からはじまっている天体現象だった。太陽が膨張しているのではない。地球が太陽に引き寄せられているのだ。つまり地球が太陽に向かって落ちていっているということだ。正確に言えば、単に地球が太陽に自由落下しているということではなく、地球が太陽の周りを公転する楕円軌道が、円にちかかったものが少しづつ長楕円に変形しはじめているということだった。つまり、楕円の長径が長くなり、短径が短くなっているという。そうなると、もっとも太陽に近づく夏はより暑くなり、太陽から遠ざかる冬は一層寒くなる。こうした現象がなぜ起きているのかはいまだ不明であるが、なんらか外部から訪れる彗星などの影響によって太陽系内の微妙なバランスが崩れてしまったのだと推測されていた。地球が太陽を公転するこの変形度合いは年々加速度が加わり、あと十年も待たずして地球は太陽に飲み込まれてしまう、つまり太陽に落下してしまうという結果が既に予測されていた。世界の科学者たちが集結して地球脱出のための宇宙船開発を急いでいるのだが、とても間に合わないし、仮になんとか間に合ったとしても世界七十億人を救えるはずもない。だからひた隠しに隠していたのだ。

 まさか地球が太陽に落ちるだなんて。少なくとも人類が存在している間にはそのようなことはないとされてきた。しかし、自然界では何が起きても不思議ではないのだ。人類などというちっぽけな存在に予測できないことなど宇宙には山のように存在しているのだ。もはや我々人類は、いや、地球は、黙って地球も終焉を待つしかない。じたばたしてもどうしようもないのだ。より暑い夏を凌ぎ、より寒くなる冬を乗り越える。こうした目の前で起きている自然現象と対峙しながら、最後の時を待つしかないのだ……。

 ……ということなのではないかしら、もしかして。と思うほど暑い、二千十三年の夏。

                                                 了


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第八百九十一話 光の世界 [妖精譚]

 誰にだってあると思う。自分の中の光の部分が。隠さなくてもいい。それはあなただけのことではないのだから。人間である限り当然のことだと思うから。それを罪だと思う必要などない。闇と光の両方を持ってこそ、バランスがとれて生きていくことができるのだと、私は考えている。

 私もあなたと同じ人間だ。普通に暮らしていて、普通に働いているごくごく一般的な人間だと思っている。いまはこうして薪を割っているこの斧は、薪を割るだけのものではない。私が飯を炊くために苦労して割ったこの薪をだれかが盗みに来たとしたら、容赦なくそいつの頭に斧を突き立てるだろう。そうでなくっても、隣人がたくさんの薪を割り終えた様子が眼に映ったなら、私は自分の薪割りを即座に中止して、この斧を持って隣家への垣根を越え、薪を割り終えて休憩している隣人の首を斧で切り落として、彼が割った薪を自分の獲物として持ち帰るだろう。

 だが、ときにそんなことをしてはいけないのではないか、隣人のモノを盗んではいけない、ましてやその首に斧を突き立てるなんて! そんな気持ちが芽生えることがある。私の中の光の部分だ。とても恥ずかしい。自分が邪善な天使にでもなってしまったような気がする。闇の世界に暮らしながら、一瞬でも自分の中の光の部分を意識してしまったとき、罪善感にさいなまれてしまう。あなただってそうだろう。でも、心配することはない。そういうのは誰にでもあるし、気の迷い以外のなにものでもないのだから。

 たとえ気の迷いであれ、そのような光が芽生えた時、私は祈ることにしている。これは、大魔王ルシファー様の思し召しなのだと。光の世界に迷い込んでしまわないようにと、ルシファー様が気づかせてくれるために与えてくれた気づきであり、試練なのだと。

 闇の世界と光の世界はいつも隣り合わせだ。だから常々注意をしておかないと、謝って光の世界へ足を滑りこませてしまうかもしれない。そういうことのないように、私は今日もルシファー様に祈りをささげるのだ。

                                           了

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第八百五十六話 海辺飯店公司 [妖精譚]

「んだば、メシ行きましょかな」

 工場奥にある事務所での商談が終わると、陳翁が言った。

「いい処あるあるよ。シーサイドレストランね」

 シーサイドレストランと聞いて、俺はニューヨークのイーストサイドにあったベイエリアカフェを思い出した。イーストリバーに面したテラスで食べたロブスターが美味かった。そうか、この街にもニューヨーク並みにお洒落な店ができたんだなぁ。そう思っただけで口の中にシーフードの香りが広がるようで、思わず唾を飲み込んだ。この街の自慢のスポットよ、ワタシ最近毎日行ってるよ、きょうはワタシご馳走するよ。早く店を紹介したいという意気込み満々の陳翁に急かされるままにタクシーに乗り込んで件の店に向かった。

 海に囲まれた半島にある街であるから、車に乗ればすぐにベイエリアにたどり着く。どんなにお洒落なエリアなんだろうと胸躍らせながら着いたのは、お洒落でもなんでもない下町の外れにある倉庫街の一画。そっか、ロフトを改造した店なんだな。そう思いながら陳翁の後ろを歩く。と、目の前に薄汚れた木造の海の家のようなあばら家が見えた。

「ここね。着いた着いた」

 陳翁は弾むような足取りで建物に入っていく。なんだぁ、これ。ここが……レストランなのか? 入口をくぐると煮物の香りが鼻をついた。ん。こりゃぁなんだ、ナンプラーの臭か? 美味そうというよりは、アジアの屋台に広がっていそうなあの匂い。おいおい、ロブスターはあるのか? オイスターは?

「さ、ここに座るね」

 陳翁はやはり常連であるのは間違いないのだろう。アイヤー、ソイヤー、ナンヤラヤー。店の奥でオーナーらしい男と楽しそうになにかしゃべっている。円卓に戻ってきた陳翁はニコニコしながら言った。

「本日の特製料理、美味そうなのぜんぶ頼んできたね」

 俺がどんより曇った大窓の外を眺めていると、昼間なら眺めがいいよ、ここは海が見えるサイコーのレストランね、と言って嬉しそうに笑う。確かに窓の外はすぐ海のようだが、薄明かりの下でちゃぷちゃぷ音を立てている水面には瓶やらプラスチックやら、いろいろなものが浮いていて、とてもきれいな海とは思えない。そう思って見ていると、なんとなくドブ臭い臭いが漂ってくるように思えた。大丈夫かよ、この店。

 やがて醤油や油で汚れたままのエプロンをつけたウエイターが料理を運んできた。見ると陶器のボールの中にはどす黒い液体が湯気を立てながらなみなみと入って揺れている。

「おおー、これはオーシャンスープだ。美味いよ」

 スープ皿に注がれたその黒いスープを口にしてみたが、生臭い潮の味。まさかこの海の水を温めただけのものでは?

「ここの海のスープは栄養たっぷり!」

 陳翁はあっという間にスープを飲み干してしまった。

 次に運ばれてきたのは大きな深皿の中にやはり黒々としたなにものか。

「これこれ。この店の特製ね」

 言いながら皿にシェアしてくれたのはいいが、魚を煮つけたらしいこの料理もまた不気味な香りを放っていた。この魚はなにかと問うと、”変鯛煮付け”だと答えた。ヘンタイニツケ? 変態に付け? けったいな……。料理は次々と運ばれてくるが、どれもこれも色合いの悪い気色の悪いものばかり。本場で食べる北京料理というのも多かれ少なかれこんな感じだったなぁと記憶の中を探る。蛙だの、田螺だの、魚の腸だの、そんなものばかり煮たり焼いたりして食っているのかなという、それあ北京料理の印象だった。

 俺がどれもこれも食べあぐねていると、ようやく蟹みたいなものが運ばれてきた。

「やった、これ、上海蟹でしょ?」

 小声で聞くと、「うんにゃ、上海蟹はいまは季節じゃないね、これはもっといいもの」と陳翁。ではなんというものか? 

「これは上海蟹似ね」

「ほら、やっぱり。上海蟹を煮つけたものじゃない」

「違う。上海蟹に似ている蟹、上海蟹似ある」

 よく見ると黒々と煮つけられたその蟹には十本以上の足がついている。これ……蟹じゃないじゃん。

 とにかく大陸の人間はなんでも食う。噂ではいまでも犬猫を食う地域もあるというから、油断できない。俺はこの街のシーサイドレストランはこれっきりにしておきたいと心底思った。

                                    了


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第八百五十四話 (童話)明日探物語 [妖精譚]

 十五歳の誕生日を迎えたヒロトは両親にあることを打ち明けた。

「ぼく、旅に出たい。もっと広い世界を見て、大切ななにかを探したいんだ」

「大切な何かってなんなの?」

 母親に訊ねられてもヒロトは答えることができない。なぜならヒロト自身にもわからないから。職人である父の仕事を継ぐことも考えたのだが、自分にはそれ以外に何かすべき事があるような気がしていた。だからその何かを探したかったのだ。

 戸惑う両親を無理やり説得して、身の回りのものを小さな鞄に詰め込んで家を出たヒロトは、とにかく太陽が出る方向を目指した。しかし太陽はすぐに頭の上に移動し、やがて背中の方向に降りていく。つまり太陽を追い抜かす形になってしまうのだが、それでも構わずにヒロトは太陽が最初に顔を出した方向へと歩き続けた。二回ほど太陽を追い抜かした頃、山の麓で白い長い髭を伸ばした爺さんと出会った。

「おい、お主。どこに行くのかな}

「はい、太陽が上るところへ」

「ほぅ。そうか。で、何しにそこに行くのかな?」

「わかりません。何かを見つけに行くのです」

「そうか何かを見つけになぁ。なるほどわかった。では、これをお持ちなさい」

 爺さんがくれたのは地図でもガイドブックでもない、一冊の本だった。ありがとうございますと受け取ったものの、読めない文字がいっぱいあるヒロトはもらった本を鞄に入れて先を急いだ。

 最初についたのは学びの村だった。若く明るい村人たちは全員が勉強好きで、しばらくここに滞在しなさいと薦められるままに宿をとったヒロトは、村人に混ざって暮らすうちにさまざまなことを学び、何人もの友人も出来た。火の使い方や水を得る方法、土の捏ね方、木の育て方、金の探し方など、多くの知恵と知識を身につけたヒロトはいつの間にか背も伸び、立派な青年になっていた。いつまでもここにいる訳にはいかない、そう感じたヒロトは、また旅支度をして東へと向かった。

 険しい岩山を越えていくと山頂あたりで出会ったのは頭の禿げた三つ目の恐ろしげな姿をした大男だった。だが大男は意外と優しく接してきて、持ち金が乏しくなってきたヒロトに三つの仕事をくるのだった。

 最初の仕事は、山の麓の村人と共に畑を耕す仕事だった。ヒロトは村人と共に熱心に耕し、半年もすると畑にはさまざまな作物が実った。村人と一緒になって豊作を喜び、宴を祝った。祝っているうちに村の娘ヒメコと恋に落ちた。宴のあと、ふたりで星を眺め、納屋に忍び込んで一夜をともにするのだった。

 二つ目の仕事は、収穫した作物を森の奥に住む魔女に売り込むことだった。ヒロトは畑で採れたイモや玉ねぎやナス、果実をトラックに積み込んで森の奥に向かった。魔女が住む屋敷までの道にはいくつものトラップが仕掛けられていた。

 底なし沼をうまく回避し、燃え盛る草原の炎を沼の水で消し止め、襲い来る狼の群れを器用に飼い慣らして先へと進むと、いよいよ魔女の屋敷。

「ふぉふぉふぉ。よくぞここまで来れたものよ。で、何を売りに来た? そうかそうか、全部買ってやろう。ただし、条件がひとつ」

 魔女の条件は三つ目の仕事と合致した。谷間のドラゴンを生け捕りにしろというのだ。大男の依頼は退治せよというものだったが、どちらにせよ相手はドラゴンだった。ヒロトはさっそく谷間に向かった。ドラゴンはすぐに見つかった。谷間でのんびりと日向ぼっこをしていたのだ。

「おい、ドラゴン。お前を退治する」

「なんだって? なぜわたしを退治するのだ? わたしがなにをしたというのだ?」

 言われて確かにその通ろだと思った。そこで大男ではなく魔女の依頼に応えることにした。ドラゴンにその話をすると、驚いたことにドラゴンは素直に受け止めた。

「まぁ、そろそろ帰ってやるか。わたしはもともと魔女の屋敷に住んでいたんだからな。広くて温かいこの谷に憧れて屋敷を飛び出したのだが、そろそろここも飽きてきた。もう、屋敷に戻ってもいい頃だな」

 こうしてヒロトはドラゴンを魔女の元に連れて行き、作物の代金を受け取って村に戻ってみると、すでに恋人になっていたヒメコが何者かにさらわれたという。目撃者を探してみると村はずれに住む盲目の婆さんが見たという。

「大きな三つ目の男が連れ去っただ!」

 なるほど、三つ目の大男か。それなら話は早い。ヒロトはさっそく大男を訪ねた。

「おい、大男! 仕事は三つともこなしたぞ!」

「本当か。よくやった。だが、知っているぞ……ドラゴンは退治しなかっただろう」

「退治はしなかったが、捕まえて魔女に渡したぞ」

「わしの依頼とは違うな。だがまぁいい。そのかわり、この娘はわしがいただく」

「なんだって! ぼくはヒメコを取り戻しに来たんだ!」

 するとヒメコが姿を現して言った。

「あら、残念。わたしはここで暮らすの。貧乏な村よりも、裕福で優しい三つ目おじさんと一緒にいるほうがいいわ」

 ヒロトはヒメコを説得し、大男をなじったが、結果は変わらなかった。がっくりと肩を落とし、村に戻るしかなかった。

 気がつけばヒロトは中年と呼ばれる年齢にさしかかろうとしていた。ヒメコとのこともあって、すっかり生きる気力を失っていた。そうだ、ぼくは何かを探すために旅に出たのだった。こんなところでとどまっていられない。ようやくかつての気持ちを思い出したヒロトは再び支度をして旅に出た。

 今度の旅は冒険もトラップもなく、大男も魔女もドラゴンも現れず、ただひたすらに歩き続けるだけの旅となった。東へ東へひたすら歩く。無精ひげを生やした中年男を見て道を明ける人、「浮浪者!」と言って石を投げる子供もいたが、一方では親切に話しかけてくれる婦人や、家に招き入れて宿を貸してくれる年寄りもいた。

 それから何年も何年も歩き続けて、東の果てまでたどり着いたと思ったとき、ある一軒の家の前に立っていた。入口のところで猫が手招きするので中に入ってみると、老婆がベッドの上で横になっていた。

「おお、戻ってきたのかい。何かみつかったのかい?」

 驚いたことにそれは年老いた母親だった。ヒロトは家に帰っていたのだ。

「元気かい? 顔を見せておくれ」

「父さんは?」

 聞けば、ヒロトが家を出てしばらくしてから、病気になって死んでしまったという。そのために家業も廃れ、母は一人で苦労して生活していたが、ついに病に冒されて迎えが来るのを待っているところだという。

「そんな。ぼくが面倒をみるから、病気を直して長生きしよう!」

「ありがとう。お前が戻ってくれたことだけでなにより嬉しい」

 母はたいそう喜んだが、三日後に息を引き取ってしまった。

 ヒロトは何かを見つけるために旅に出たのだが、遂に何も見つけることができないまま戻ってしまった。しかも戻ってみると父親はなく、母親さえも失ってしまった。

 ヒロトが長い旅の末に見つけたのは、喪失だった。限りなく深い、しかし限りなく稀有な両親の愛情。もはやどこを探しても見つけようのない愛の喪失を知ったのだった。

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第八百四十七話 (童話)おらはロボット [妖精譚]

 また課長が難しい顔をして呼んでいる。

「おい君。売上が落ちているじゃないか」

 そんなことを言われても、こういう時代だから……どの業界も軒並み数字が落ちているんですから。思うけれども口には出せない。人間に口答えなど出来ないのがきまりだもの。

今度は部長がやってきた。

「君たち、新規開拓をしてき給え」

 そんなことを言われても、新規開拓なんて、プログラムされていませんし。思うけれども反論なんて出来ない。人間には逆らえないように作られているから。

「はい、かしこまりました。仰せのように」

 プログラムされているのはこんな言葉とそれに伴う行動だけだ。

 ぎりぎりぎり。

 腰のあたりから軋み音を響かせながら約九十度に腰を折る。得意先の前ではこうやって頭を下げて仕事をしてきた。

 きぃきぃきぃ。

 発注先に対してもやっぱり約九十度に腰を折り曲げてお願いをする。

 あっちもこっちも、ぎりぎりぎり、きぃきぃきぃ。働くってこういうことなのだ。

 おらだって、生まれたてのときには銀色に輝いて、腰からも、首からも、腕からも、軋み音なんてしなかった。新品ぴかぴかのからだで、いろんなことを憶えていった。言葉や数字や化学記号。漢字や英語や歴史年表。方程式や化学記号や元素記号。憶える度に賢くなって、処理速度も上がっていった。その頃は課長も部長もいなかったし、新規開拓もなかったので、元気いっぱい自分の成長だけに集中できたのだった。

 二十年くらいはぴかぴかしたまま成長し続けてきたはずなのだけれども、そこからあとは、たぶん経年変化と蓄積摩耗と金属疲労でからだのあちこちが古く痛み続けている。金輪際使いたくない言葉だけれども、頭脳も骨格も表皮も、おらのからだのすべてが劣化し続けている。このままだと、錆び付いて動けなくなる日も近いのかもしれない。もしかしたら、錆び付く前に壊れてしまってスクラップに回されてしまうかもしれない。膨らむ不安。重なるストレス。おらのプログラムにはなかったはずの情緒不安定な因数が増えていく。このままではいけない、このままでは。

 おらの頭の中で赤いシグナルが点滅しはじめた頃、テレビのニュースから新しい情報をインプットした。東日本大震災から二年も過ぎたというのに、あの発電所はいまだに復旧出来ない状態であることを。そしてその難局を打破するためにロボット工学が力になろうとしていることを。

 おらはロボット。人間の生活を豊かにするために、世の中にもっと良い世界をもたらすために、おらはこの世に生まれてきた。人間が出来ないことをロボットが行う。ロボットは人間よりも優れた能力を発揮する。人間が行けない場所でもロボットなら行ける。

おらはロボット。もうスクラップになる日も近いけれど、もう一度、スクラップになる前に、おらはロボットとして人間の役に立ちたいのだ。

ぎりぎりぎり。

きぃきぃきぃ。ぷっしゅぅ。

おらはからだのあちこちを軋ませながら、被災地のそのまた奥の発電所に向かって、今世最後の旅へと出発した。

                      了


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第八百四十六話 (童話)星をつくもの [妖精譚]

 大きな目をくりくりとさせて走りまわっている。

目覚太郎は可愛い元気な男の子。

 好奇心が旺盛で、世の中のどんなことでも知りたいと思う子供でした。

 やがて青年になった太郎は、もっと広い世界を見たいと考えてひとり旅に出たのでした。生まれてはじめて村を出てしばらく歩いて行きますと、とても広い草原に出ました。ひんやりと気持ちのいい風が渡る青々とした草の絨毯を踏んでどんどん歩いて行きますと、ちょうど真ん中あたりで一人のおじさんと出会いました。

 おじさんの背はそれほど高くはなく、あるべきところに顔がありません。よく見ると逆さまに立っているのです。ひと一倍大きな掌を地面につけてうんうん言いながら逆立ちしているのでした。

「もしもし、こんにちは。こんなところでどうして逆立ちをしているのですか?」

 太郎が聞きますと、おじさんはやはりうんうん言いながら答えました。

「くーっ。わしがここで押さえておかないとな、地面が浮き上がってしまうかもしれんじゃろ。だからこうやって一生懸命に押さえておるのだ。うんうん、うんうん」

「そうなんですか。それはご苦労さま。いいお仕事をされてるんですね」

 太郎は不思議に思いながらもそう声をかけて先を急ぎました。

 草原を抜けると山麓に出たのですが、山の裾野で両手を山肌に当てて一生懸命に押している腕っ節の太い屈強な男に出会いました。

「もしもし、こんにちは。こんなところでどうして山に両手をついているのですか?」

 太郎が聞きますと、男は力を緩めることなく答えました。

「ぐぅーっ。わたしがこの山を押しておかないとな、山崩れが起きてしまうかもしれんのだ。だからこうやって一生懸命に押しておるのだよ」

「そうなんですか。それはご苦労さま。がんばってらっしゃるんですね」

 太郎は変なひとだと思いながらもそう声をかけて先を急ぎました。

 どんどん歩いて山を通り抜けて行くと、頂上あたりは広い台地になっていました。その真ん中にはひょろ長い男が両手を上げて立っていました。

「もしもし、こんにちは。こんなところでどうして万歳をしているのですか?」

 太郎が聞きますと、ひょろ長い男は両手を上げたままで答えました。

「ううーっ。ぼくがここでこうして天を支えておかないと、空が落ちてくるかもしれないんだ。だからこうやって一生懸命に天を支えているのです」

「そうなんですか。それはご苦労さま。それはたいへんなお仕事をされていますね」

 太郎は奇妙に思いながらもそう声をかけて先を急ぎました。

山を越えてさらに歩いていくと、今度は海に出ました。海岸線に立って、ざぶーんざぶーんと打ち返してくる波を眺めていますと、波打ち際のあたりで両手と両足を大きく広げて海面にぷかぷか浮いている幅の広い体をしたお姉さんに気がつきました。

「もしもし、こんにちは。海の上でぷかぷか浮いているのは、気持ちよさそうですね」

 太郎が言いますと、お姉さんは水の中から顔だけを持ち上げて答えました。

「ぷふぅ。わたしが遊んでいるとでも思うのですか? わたしは海面を押さえているのですよ。ここで海を止めておかないと、海水が蒸発してなくなってしまうかもしれないのです。だからこうやって一生懸命に海面を押さえているのよ。ざぶぅん」

「そうなんですか。それはご苦労さま。勘違いしてすみませんでした」

 太郎は面白いなと思いながらそう声をかけて先を急ぎました。

 海岸に沿って歩いて行くうちに日が暮れてきてあたりはすっかり暗くなってきました。見上げると満天の星空です。手に取れそうな数々の宝石を数えながら歩いていると、長い棒を空に向けて突いているお兄さんを見つけました。

「もしもし、こんばんは。こんなところでそんなに長い棒を持って何をしているのですか?」

 太郎が聞きますと、お兄さんは長い棒を突き上げながら答えました。

「よいしょっ。こうしてこの長い棒で空いっぱいに散らばった星をひとつずつ押していかないと、たくさんの星が落ちてしまうかもしれないんだ。だからこうして長い棒で星が落ちてこないように突き上げているんだわ。よいしょっ」

「そうなんですか。それはご苦労さま。素敵なお仕事をされてるんですね」

 太郎は楽しい気持ちになりながらそう声をかけて先を急ぎました。

 しばらく歩いていますと、町の入口のところで美しい歌声を響かせている男がいました。

ららら

歌はこの世を素敵にするのさ~

だから

歌い続けるみんなのために~

ぼくら

歌があるから生きていける~

ららら

歌と一緒に生きていく~

 

静まり返った空気の中に染み込んでいく歌声の邪魔をしないように、太郎は小声で訊ねました。

 「もしもし、こんばんは。素晴らしい歌ですね。いつもここで歌っているのですか?」

 美声の男は歌いながら答えました。

「ららら~ぼくが歌い続けていなければぁ~世の中から歌がなくなってしまうかもしれない~だから~こうしてぼくは~いつまでもいつまでも歌い続けているのさ~ららら~」

「そうなんですか。それはご苦労さま。大事なお仕事をされてるんですね」

 何人ものひとと出会って、みんな立派な役割を持って働いているのだなぁと気がついた太郎は、はて自分は何をするべきなのだろうと考えてしまいました。

大きな手で地面を押さえるおじさん。

屈強の腕で山を押さえる男。

ひょろ長い腕で点を支える男。

幅広い体で海を止めているお姉さん。

長い棒で星を突いているお兄さん。

美しい声で歌い続ける男。

虹色の空も、蒼い大地も、銀色の海も、いろいろなものをいっぱい見てきたけれども、自分自身が見えない。ぼくに出来ることなんて、何もないなぁ。自分に取り柄がないと思っている太郎はがっかりしてしました。がっかりしすぎて涙が滲んできました。その涙が大きな目の前に溜まってひと粒のレンズになったとき、太郎の目の前はいっそう明るく輝きました。そうか。そうだった。

太郎は大きな眼をいっそう大きく見開いて輝く地球を見ます。大きな眼をくりくり回して眩しい世の中を探します。大きな目をぱちぱち瞬いて人々の笑顔を見つけます。世界が美しさを忘れてしまわないように。人々が感謝と喜びを失わないように。この世からしあわせが消えてしまわないように。

                      了


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第八百四十四話 (童話)犬は猫になれない [妖精譚]

 

 食いしん坊で、慌てん坊で、甘えん坊。

 それなのに家族の中で自分が一番エライと思っている。

 ワイヤーフォックステリアのソラリはそんな男の子です。

 お母さんが台所に立つと、必ず足元のところに来てなにかを待っています。

 とんとんとん、とんとんとん。

 お母さんがまな板の上でなにを切っているのか見えないけれども、

 なにかの表紙にぽーんと弾けて落ちて来るのを待っているのです。

 ぽーん。

 やった! あっ。キャベツだ。

 ぽーん。

 あ、今度はイモだ。

 誰よりも早く、落ちてきたモノに飛びついて口に入れてしまいます。

 まな板から落ちたらソラリのおやつなんだと、お母さんももう諦めています。

 お散歩をしているときだって、ソラリはいつもそわそわしながら歩いています。

 鼻先を下げて道のニオイをくんくん。

 なにか美味しいものが落ちていないかな。

 そんなことばかり考えながら歩いているのです。

 あっ。お菓子が落ちてる!

 白いマシュマロのような塊を見つけたソラリは

 誰よりも早くそれに飛びついてくわえ込みます。

 がりり。

 痛い! それは白い石でした。ソラリはほんとうに慌てん坊です。

 こんなソラリのことを、お母さんは可愛くてしかたがありません。

 それにソラリもお母さんが大好きです。

 いつもお母さんの後ろを追いかけて、足元にすり寄ります。

 お母さんがお出かけするときには、わうわう、まってまってと大騒ぎ。

 そんなソラリをタンスの上から見下ろしてるのが

 この家に三年前から住んでいる猫のカトウとヤマダです。

 カトウは白地に黒い模様が入った牛柄の毛皮を着た女の子。

 ヤマダは全身真っ黒な男の子です。

 ほらご覧。またソラリが甘えているにゃあ。

 あーらら。やかましいこと。あんなに吠えなくてもいいのに。

 お母さんは、お買い物済んだらすぐに戻ってくるのに。

 カトウとヤマダのふたりは、いつもこうして高いところからソラリの様子を伺っているのです。

 お母さんを玄関で見送ったソラリは、部屋に戻ってカトウとヤマダを見上げて睨みつけます。

「なんだよぅ。僕は吠えるのが仕事なんだよ」

 必死で吠えているところをふたりに見られたのが少し恥ずかしいのです。

 それに……ほんとうはふたりがうらやましくもあるのです。

 僕もあの高いところから世界を見下ろしたい。

 高みにいるカトウとヤマダを見るたびにそう思うのです。

 それに、あのふたりは実に要領がいい。

 好きなときにお母さんにすり寄って甘え、それに飽きたらすっと姿を隠す。

 ご飯だって、ソラリは決められた時間にバクバクっと食べて終わりだけれど、

 ふたりはいつでも好きなときに好きなだけ食べられるようにセットされているんだ。

 どうして犬と猫の境遇が違うのか、ソラリにはよくわからないけれども、そうなんだ。

 カトウとヤマダは、暖かい出窓のところも大好きで、いつもそこで日向ぼっこ。

 タンスの上は無理だけれども、あそこなら上がれそう。

 そう思って飛び上がろうとしてみるが、ソラリには猫のようなジャンプ力はない。

 くやしいなぁ。

 出窓の下でくぅんくぅんと鳴いていると、お母さんが気づいて踏み台の椅子を置いてくれたので、やっとふたりのところによじ登ることができるようになった。

 ふたりのいるところにやっと上がったら、カトウは、ぽおんとジャンプして離れたテーブルづたいにもっと高い書棚の上に飛び移った。

 同じようにジャンプしたヤマダは、カーテンに爪を立ててよじ登っていった。

 あっ。いじわる。でもいいなぁ、あの身の軽さ。

 それにあの爪と来たら……

 自由に爪が伸びて、あんなことができるんだものなぁ。

 ソラリはむき出しになったままの自分の大きな爪を悲しそうに見つめた。

 この家では一番エライと思っているソラリなのだけれども、

 身軽で格好よくジャンプして、いつも高いところからクールに見下ろしているカトウとヤマダを見上げているうちに、自分も猫だったらよかったのにと思うようになった。

 好きなときに食べて、好きなときに甘えて、家の中を自由にしているあのふたり。

 ソラリは、ヤマダの真似をしてカーテンにしがみついてみた。

 ずるずる。

 ちっとも爪がひっかかりやしない。

 カトウの真似をしてにゃおうと鳴いてみた。

 くぅおう。

「あらまぁ、なぁに、そのおかしな鳴き声は」

 お母さんはソラリの眼を見て笑っている。

 いつの間にか帰ってきてたお母さんに妙な声を聞かれてしまった。

 恥ずかしさにまた声が出てしまうソラリ。

 ふぅん。

「そっか。ソラリもあの本棚の上に行きたいの? あのカーテンにしがみつきたいの?」

 恥ずかしい。お母さんにはお見通し。

 夕方のお散歩に連れて行ってもらいながら、ソラリは一瞬でも猫になりたいと思ってしまったことを少し恥じた。僕は僕。犬は犬。それでいいんだ。

 なんで猫になりたいなんて思ったんだろう。猫だからできること、猫にしかできないことがあるように、犬だからできること、犬にしかできないことだって、きっとあるんだから。

お母さんの歩調に合わせて歩きながら思った。

でも。でも……。

僕にしかできないことってなんだろう。そんなものあるのかな?

  少し不安になった。

頭の中に浮かんだカトウとヤマダの凛々しい姿を払いのけるように、ソラリは全身をぶるぶるっと震わせた。

                                   了


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第八百四十二話 ネガティブ・スパイラル [妖精譚]

 学校から帰って部屋で遊んでいると、家の中でごろごろしているくらいなら外で運動でもして来なさいと母親が言う。本当は家でゆっくりしていたかったのだけど 仕方なくグローブを持って学校へ向かった。日暮れまで友達と野球をして帰ると、今度は勉強もしないでいったいどこをほっつき歩いているんだと叱られた。 だって……と口を開こうとすると、文句を言う前に謝りなさいと言われたので、ごめんなさいと謝ったら、誤って済むものなら警察などいらないって。だってお 母さんが外に行けといったじゃないかと言い返すと、何を口答えしているんだ、男は余計なおしゃべりはしないものだとまた叱られた。それからどんどん無口に なっていった僕に母は、本当に男の子ったら口が重くて困ると近所中で言って回るようになった。

 大人になって会社員になったが、初出社で 黙っていたら、朝の挨拶も出来んのかと先輩に叱られた。翌朝、元気よくおはようと挨拶したら、別の先輩にカラ元気な挨拶だけじゃ仕事は出来んぞと言われ た。仕事を覚え独り立ちするようになってからは、社内でいるととっとと営業に行けと怒鳴られ、寄るまで営業に回って帰社すると、どこでさぼっていたのだと 上司に詰め寄られた。次の日から適当に得意先周りをして適当なところで会社に戻るという仕事の仕方をしているうちに、業績はどんどん下がっていった。

  さらに月日が過ぎてこんな僕にも恋人が出来、所帯を持った。新婚期間を過ぎると、たまには家のこともしてよと妻が言うようになり、ならばと料理をしようと すると、台所には入らないで頂戴と言われた。身の回りの掃除くらいしてよと言うのでいいように片付けたら、こんな適当な片付け方ならしない方がましだと言 われた。給料が少ないから家計が苦しいというので、残業を増やしたら、ちっとも家に帰ってこないと拗ねられた。

 こうして僕はどんどん自分 じゃない人間に変わっていって、いったい何をしたらいいのか、どうしたらいいのか判断すらできない人間になっていった。少なくとも自分ではそんな気がする のだが、酒場でこの話をしたら、なんでもひとのせいにするものではないと居酒屋の亭主に言われてはじめて気がついた。そうか、ぜんぶ自分でしてきたこと だ。自分自身でいまの自分を形成してきたのだと。

 僕はもうひとの意見など聞かないことに決めた。だが社会の中にいる限り、僕がすることや 言うことに対して、誰かが必ず何かを言う。それが社会というものだから。やがて僕はなるべくひとがいない場所を選ぶようになり、その結果、いまこうしてこ の狭い部屋で一人きりで暮らすことが出来るようになった。ここでようやく本来の自分自身を取り戻せたような気がするのだ。しかし、この誰もいない部屋です ら、一日に何度か、最低でも朝昼晩の三回は、ドアのところにある小さな窓から食事が投入され、その度に白衣を着た誰かが僕に声をかけるのだ。

「おい、ちゃんと食わないと死ぬぞ。もっとも食ってても、お前はもはや死んでいるようなもんだがな」

                              了


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