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第七百六話 最後の逢瀬 [文学譚]

 ねえ、もう。こんなこと終わりにしない? 

 いつものホテル。上半身だけ起き上がって白いシーツで身体を包むようにし

ている女が言った。冷蔵庫からビールを取り出そうとしていた男は、女の突然

な台詞に戸惑って聞き直した。

「なんだって? 何を終わりにするんだい?」

 何って、こんな関係よ。

「どうして。俺たちこんなに愛し合っているのに。これまでも上手くやってこ

れたのに」

 愛し合ってる? それって、ベッドの中だけじゃない。

「ベッドの中だけだって? そんなことないさ。俺はいつだって……」

 あら? 嘘ばっかり。あなたが愛してるのは、お家で待っていらっしゃる可

愛いぼっちゃんたちと、奥様じゃない。そうじゃなければ、私を一人ぼっちに

なんてするはずがない。

「一人ぼっちに? いつ、俺が……」

 クリスマスの夜も。そしてこれからやって来る新しい年も……。

「そんなことを言う君じゃなかったはずじゃないか」

 ええ、そうよ。私は文句を言ってるんじゃない。こんな不毛な関係はもう、

やめにしましょって言ってるだけよ。

「ああ、頼むからそんなこと言わないでくれ。俺たちはこの先も、きっと上手

くいくはずなんだから」

 上手くいくはず……そうね。私がこうして黙っている限りは……そうしてあ

なたが家にこれを持ち帰らない限りは……きっと上手く続けるんでしょうね。

「だったら……」

 女はベッドサイドに置いてあった煙草ケースを取り上げて、中から細い紙巻

煙草を一本取り出し火を点ける。そしてゆっくりと問い返す。だったら? 枕元

に据え付けられたアナログ時計の針がひと目盛進んで零時ちょうどになった。

 あら、年が変わったわ。失敗ね。去年のうちに終わらせたかったのに。爛れ

た関係を去年終わりにして、年が明けたら新しい関係を築くつもりだったのに。

「なんだい、どういうことだい?」

 そういうことよ、あなた。新年おめでとう。今度はいつ会えるのかしら。

「さっきの話は……?」

 わからない人ね。あれは去年、もう終わったの。あたしたち、二千十三年の

素晴らしい関係を作っていくのよ、これから。さ、あなたはもう、早く帰らなきゃ。

大晦日まで残業お疲れ様……そういうことにしてるんでしょ? さ、早く。

 女はベッドから出て身繕いをはじめながら、男のお尻を軽くつねった。

                                  了


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第七百五話 成長期 [文学譚]

第七百五話 成長期

 朝夕、時間がくると足元に擦り寄ってなおなお鳴き声を出しておねだりする

小さめの器にドライフードを適量盛って動くと、私の手元を見上げながらすた

たとついてきていつもの場所で食事をはじめる。器の前で前足を行儀よく

揃えてフードに食いつく様子を眺めながら思うのだ。ドライフードって、栄養

バランスが取れていてこれがいちばんいいのだというけれど、こんなもの旨

いのかしら?

 ウチの愛猫たちは、この二年間ずーっとこのドライフードだけで育ってきた。

ときどきおやつ程度に生魚の欠片や、缶詰を与えたことはあるけれども、基

本的にはこのドライフードだ。生き物の身体は、毎日細胞が入れ替わってい

て、摂取した食べ物がその材料になっているという話を聞いた。だから、質

のいい材料を摂取することが大切なのだとも。つまり、この子たちの身体を

つくっている材料はこんなドライフードなんだなぁと思うと不思議な気持ちに

なってくる。

 愛猫は二匹いるのだが、公園に捨てられていた兄弟だ。三匹いたが、一

匹だけは知人にもらって頂いた。三匹はちょっと荷が重いとおもったから。

最初うちにやってきたときには片手に乗るような大きさで、それは小さな声

でみぃみぃ鳴いていた。可愛らしすぎて、ほんとうは一匹引き離すのはとて

も悲しかったのだが。その頃はすでにドライフードが食べられる二ヶ月ほど

になっていたので、そこからずーっと同じドライフード。餌をやりはじめて二

ヶ月ほど過ぎた頃、あれ? と気がついた。それはとても当たり前の話でも

あり、同時にいま頃気がつくかということでもあるのだけれど。

「この子たち、いつの間にこんなに大きくなったんだろう?」

 うちに来たときは片掌に充分収まっていたのに、二ヶ月後のそのときには、

両手でも余るサイズになっていたのだ。毎日毎日見ていると、そんなことに

も気がつかない。ほんのわずかずつ成長しているわけだが、日々接してい

るから感慨にも思わなかったのだ。この成長して増えた分は、すべてあのド

ライフードで作られているのだ、そう思うとますます不思議な気持ちになった。

 あれから二年も過ぎて、今や両手で抱えるほどのサイズにまで成長してい

る。二匹を片手ずつで同時に抱えるとちょっと重たいって感じ。さすがに、もう

いくら毎日フードを与えてもこれ以上は大きくなrそうにはない。私としては、い

まの倍ほどあるようなデブ猫にしたいのだけれども、この子たちにはそういう

才能はなさそうだ。でも、健康を考えると今くらいがちょうどいいのだろう。

 毎朝、会社に行く前に、今日は何を着ていこうかと思案する。ふと思い立っ

てそうだ、昨年買ったあのショートパンツにしよう! タンスの奥からそれを引

っ張り出して片足を突っ込んでみて違和感。腰まで引き上げてますます違和

感。入りづらい。ウエストのボタンが止まらない。ちょ、ちょっとこれ、どういうこ

と? 昨年はちゃんと履けたのに。この一年、私の腹回りは見事に大きく成長

しているのはわかっていた。けれども、ここまでとは。ドライフードも与えていな

いのに、いったい何が私のお腹をここまで成長させてしまったのだろうか。

                                 了


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第七百四話 すす払い [文学譚]

 一年のうちで、何が嫌かって、年末のすす払い、つまり大掃除ほど嫌なもの

はない。普段からきれいにしておればいいではないかと言いたいのだが、普

段から片付けるのが苦手で家の中は目につくところの掃除は妻がしているよ

うだが、妻から片付けてねと言われたものなどはすぐに納戸にほうりこんでお

しまいにしてしまっている。年末にはいよいよそれを片付けなければならない

のかと思うと、うんざりするのだ。出来れば知らんぷりしておこうと黙ってせっせ

と窓ガラスを拭いていたら、案の定妻から指令が降りた。

「あなた、窓拭きが終わったら、何度を片付けてね」

 これが嫌なのだ。妻から命令されるのも嫌だし、片付けるのはもっと嫌だ。だが、

言われてしまったからには仕方がない。やらなければとんでもないことになるのが

目に見えているのだから。

 窓拭きを早々に終えて、納戸の扉を開けた。三畳少しの狭い納戸だ。手前の方は

そうでもないが、奥の方はどうなっているのかわからない。積まれたダンボールや

バッグの中身を調べながら、少しづつ捨てるものとそうではないものを分類し、棚に

置き直して片付けはじめた。

 こういうことをしていると、思わぬものが宝探しのように出現する。あれ、探してい

た工具箱がこんなところにあったとか、無くした靴下の片側が隅からでてきたとか。

場合によってはなくしたと思って買い直してしまったものもあったりして、悔しい思い

をする。靴下の片方など、もう捨ててしまったはずだから、いまさら見つかっても仕様

がないのだ。行方不明になっていた名盤アルバムが見つかったときは嬉しかった。

ちゃんとここにしまいこんでいたのだ。ここにあることを覚えておかなければ。キャンプ

用品など、こんな寒いときに出てきてもらっても困る。夏物のジャケットも。

 何かが見つかるたびに、喜んだり肩を落としたり、思い出に耽ったりするから、なか

なか作業は進まない。二時間ほどそうやっているうちに、ようやく送まで手が届いた。

おや? なんだあれは? 奥の方の棚の影に何かがある。ズボンかな? 思って手を

伸ばす。ある程度芯があって棒みたいなもの。何だこれは。引き出そうとするが奥につ

ながっていて出てこない。仕方がないので手前の荷物を掘り起こして奥まで身体が入る

ようにする。ようやく棚の無効がのぞき込める状態になった。

 なんだ? 人形か? 驚いた。そこに横たわっていたのは……

「爺さん! あんたこんなとこにいたのか! 長い間探していたんだよ」

                                   了


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第七百三話 仕事納め [日常譚]

 年の瀬というものはおかしなものである。いつもと何ら変わりのない一日で

あるのに、まもなく暦が一枚ペラリとめくられるというだけで、みんな一様に慌

ただしい様子を見せ、ばたばたと身の回りを片付けはじめる。

 今年の仕事もいよいよ今日が仕事納めという最終日になると、きれいに片

付いたオフィスの中、夕刻が近づく頃には宴会がはじまる。普段なら、まだ五

時にもならない時刻に酒など飲んでいると叱責をうけてしまうのに、この日だ

けは許されるのだ。こんなことはうちの会社だけなのかと思っていたら、よそ

でも同じ様なことになっているらしい。もっとも納日は社によっては違うようだ

が。うちの会社は平均的な二十八日が最終日。ビールが入った紙コップを持

った社員がフロアをウロウロしはじめる。

「いやぁ、今年ももう終わりましたな」

「終わりましたね。いろいろありがとございました」

 決まりきった会話があちこちで交わされはじめる。私も紙コップを持ち、ス

ルメを噛み締めながら社内を徘徊する。と、窓際でひときわ世話になった直

属の上司が隣の島の同僚と紙コップを傾けている。私はふらりと彼らにも一

言挨拶しておこうと思い、近づいていった。

「どうも、もう、いい感じですか?」

「やぁ、お疲れさん、まぁ、一杯」

「いえいえ、もう、ここに随分入っています。ちょっと一言と思いまして」

 この上司はこの一年、散々私を苦しめてきた。コンプライアンスだとか利益

のためだとか言って、会社の都合ばかり言ってくる。会社の方針としては、人

こそが社の財産だなどときれいなことを掲げているくせに、実際のところは現

場の人間のことよりも、組織の存続の方が優先されるのだ。それは当たり前

だろう、会社が崩壊すれば社員だってもろともなのだから、人はそういうかも

しれない。だが、人の心が掌握されていない社会など、いくら会社が存続して

いたとしても死に体同然なのだと私は思う。この上司は、組織のために、とい

うよりは、組織の中で自分の地位を確保するために汗を流す輩だ。そのため

に部下を使い、無理難題も平気で押し付けてくる。我が部では、すでに何人

かの部員が辞職していった。部員が辞職するというのは上長の責任だろうと

思うのだが、結果、彼らは自己都合で辞めていった不届きものだという烙印

を押されて消えていった。組織というものは、常に強者の味方なのだ。

「ほんとうに、いろいろ、とりわけ、さまざまに、思いのほか、お世話になり、

誠にありがとうございました」

「おやおや、これはまた丁寧な挨拶だな。どうかしたのか?」

「いえいえ、ほんとうに長らくお世話になりました」

「なんだかそれ、辞めていくような挨拶じゃないか、あっはっは」

「と、とんでもない。辞めるなんて。そんなことはないですよ。辞めはしませ

んが……」

 私は言葉を濁して最後の方は心の中でつぶやた。

”辞めたりなどするものか。そんなことより、お前らみんな道連れだ。今のう

ちに年の瀬の開放感を存分に味わっておけばいい。あと十分しかないがな。”

 私はちらりと腕時計を見ながら思った。この席のデスクの下に仕掛けた爆弾

が火を吹くまでにあと十分。ほんとうに、いろいろな意味でここには世話になっ

た。だが、これで永遠に終わりだ。あと十分で私もようやく苦しみから解放され

るのだ。

 いっひっひっひ。私はほくそ笑みながら、彼らに背中を向けた。

                                  了


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第七百二話 感染 [日常譚]

 接触感染によって人から人へと広がることは以前からわかっていた。という
よりも、接触によってしか伝染しないと信じ込まれていた。ところが、最近にな
って飛沫感染もありうることがわかってきた。
 飛沫感染とは、微細なウイルスが宙に浮かび上がって、空気を吸い込むこと
によって体内に取り込んで感染してしまうということだ。たとえば感染した誰か
が吐き出したものが床の上に落ちたとする。それはやがて乾燥するかもしれ
ないが、床上の絨毯をほかの誰かが踏みつけたときに叩けば浮き上がる埃と
同じように空中に舞い上がり、舞い上がったウイルスの微粒子はあまりにも
軽いのでしばらく空中に留まり続ける。床を踏みつけた者はもちろん、さらに
やってきた別の者もその空気を吸い込むから、空気と一緒に体内に取り込ん
でしまい、ついには感染してしまう。
 これを防ぐためには、感染者が床上に吐き出したものを徹底的に浄化する
必要がある。ビニール手袋などを装着して、床に広がった汚物がさらに広が
らないように静かに拭き取る。拭き取る時には却って広がってしまう危険性
があるから注意深く静かに行うことが肝要だ。拭き取りは一回では拭いきれ
ないから、二度三度と拭き取る。拭い取った後にもおそらくまだ微細な粒子
が残っているから、アルコールや除菌剤でもう一度きれいにする。できれば
さらに熱湯をかけると念がはいるかもしれない。除菌した後、拭き取った雑
巾や手袋は、できればビニール袋の中に一緒に捨ててしまう。その際に、
ビニール袋もしっかりと口を封じて外に出ないようにする。
 ここまで徹底的に行っても、まだ顕微鏡サイズの粒子が残る可能性はある
けれども、さすがにこれ以上はどうしようもない。それほどこのウイルスは執
拗で防ぎ難いものであるということだ。
 いったん広がってしまったウイルスを抑制するのは困難だ。広がれば広が
るほど困難度は高まっていく。修復できないほど広まってしまったら、最悪
のシナリオとしてはあなたを死に追いやることになるかもしれない。それほど
このウイルスは恐ろしい。再起不能の絶望の淵にまで追いやられた者は、
自ら死を選んでしまうというわけだ。
 しかもこのウイルスは風邪やノロウイルスと違って、季節を選ばない。敢え
て言うと人の気持ちが緩むあたたかい時期が若干多いかもしれないが、概
ねどんなときにも発生するのが特長だ。面白ければ面白いほど、不幸であ
れば不幸な話であるほど、広がり方は早いし強烈だ。もうそうなれば、バン
デミック状態であると言わざるを得ないだろう。
 いまもどこかでウイルスがばら蒔かれているようだ。
「ほらほら、知ってる? あそこの奥さん、コレですってよ、コレ。そりゃぁもう
ご主人と大変なことになっているらしいんだから」
「あらぁ、面白い話。早速誰かに教えなきゃ」
 ウワサウイルス。それは人類に脅威をもたらす。
                                      了
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第七百一話 余震 [文学譚]

 十二月七日、海沿いのホテルで漁業組合の忘年会が開かれようとしていた。

ホテル従業員は会場設営で大わらわ。組合の幹事とスタッフたちは、宴会で披

露する余興のリハーサルに取り掛かっていた。六時開場にしているから、そろ

そろ気の早い人が現れはじめていて、設営スタッフの気持ちが焦る。

 私は余興のメインイベントとして歌を披露するために招待された、デビューした

ての演歌歌手だ。この街では最初で最後のステージがこの宴会場のスポットの

中なのだ。売れない新人歌手のステージ。ようやく地方で探し当てた数少ない舞

台。だがこうしたことの積み重ねこそが、華やかな未来に続くものだと信じている。

 午後五時十八分、リハーサルをしている最中に震度五弱の地震が来た。声出

しに集中していた私はその大きな揺れにまったく気づかなかった。マイクスタンド

が揺れているのは自分の声量のせいだと思っていた。安物の舞台の床張りはミ

シミシと揺れるものだからだ。

「地震だ!」

「津波が来るぞ」

「みんな、テーブルの下だ」

 客席で準備をしていたスタッフたちの声でようやく地震であることに気がつい

た。大きな揺れだった。昨年、この地域では大きな地震があった。その際に想

定外とされる規模の津波が押し寄せた。巨大な海水の塊は防波堤を大きく上

回り、町全体を飲み込み、このホテルは三階までが海とつながってしまった。

恐怖の思い出が染み付いた町。一面更地ばかりになっているこの町にサイ

ンが鳴り響く。

「避難勧告です。避難してください!」

 ホテルの館内放送に促され、全員がついこの間の記憶を思い出しながら、階

段を使って五階に避難した。廊下にまで人があふれる。すべての表情に、もう

何度この恐怖を味わったのだろうという異様な不安が浮かぶ。窓の外は暗闇。

かtsてすべてを流されてしまった町にアナウンスが響く。

「津波注意報! ただちに高台に避難してください」

 不安が渦巻く三十分が過ぎて、津波が到達した。幸い二十センチ足らずの波。

大きな被害は何もなかった。二時間ほどして避難勧告が解除されると、あちこ

ちで聞こえる安堵のため息が広がる。全員が気を取り直して階下の会場に戻り、

二時間遅れでステージがはじまった。

 私の歌は喜びに満ちた。すわ、また悲劇が起きるのかという恐怖感を乗り越

えた後には、世の中の全てのものが美しくなる。全てのものが愛おしくなる。人

間とはそういうふうに単純に出来ているらしい。私の歌は、荒々しい海を称え、

その海と闘う漁師の心を込めた歌なのに、たったいま海の脅威に晒されかけて

いた人々が耳を研ぎ澄ます。海と暮らす人間にとって、海は脅威であると同時

に愛すべき故郷なのだ。私の海洋賛歌は喝采を浴びて、他のどこよりも多くの

聴衆が涙を流してCDを買い求めた。

 この地での、この舞台は、私にとって記念すべき思い出のステージとなった。

                                 了


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第七百話 Xデー [文学譚]

 六十年前の今日、私は赤い服を着て白い髭を蓄えた爺さんから贈り物を受け
取った。誰だか知らない人なのに、どうしてか驚きもせずに笑っていたように思
う。爺さんのことよりも白い大きな袋から取り出された玩具の方に興味が引かれ
ていたからだ。興奮してすぐにその玩具で遊びたがった私を、母親がなだめて
かしつけた。それが最初の記憶となった。父親は、爺さんがいなくなってから
帰ってきた。
 それから毎年、この日が近づくと心がざわざわして、何か良い事が起こる、とい
うよりは欲しい玩具がもらえる日として心待ちにするようになるのだが、そのため
に白い髭の爺さんを待ち焦がれることはなかった。サンタクロースの存在は知っ
ていたが、あの爺さんがそうだとは思っていなかったのだ。それに実際、白ひげ
の爺さんが来ることはあの日以来なかった。贈り物だけは枕元に置かれるとい
形で引き継がれた。
 五十年前の今日、私は両親にほんとうはサンタクロースなんていないんでしょう
と訊ねた。母は困った顔をしていたが、父がその通りだと言った。なぜそう思うの
と聞かれて、学校の友達に教えられたことを告げると、父は残念だなと言った。
残念ってどういうこと? と聞き返すと、いや、もっと夢を楽しめばよかったのにと
いうような返事があったが、私にはあまり理解できなかった。そして翌年からは、
枕元に贈り物は届けられなくなった。やはりそうなのだ。サンタクロースを信じな
くなったら、もう贈り物はもらえなくなるのだと、ようやく残念という言葉の意味を
理解したような気がした。
 四十年前の今日、その年はじめて出会った恋人からプレゼントを受け取った。
私からも特別な気持ちで贈り物を彼に贈った。それまでも両親や仲のいい友人
に、あるいは何かのパーティの席で安上がりなプレゼントを用意して贈り合うこ
とはあったが、それは余興であり、ただの儀式でしかなかった。賑々しい気分を
みんなで楽しむことは出来たが、子供の頃のような気持ちが空中に浮き上がる
ような気分になることは一度もなかったのだが、恋人との間で交わされた贈り物
は架空の人物から受け取るものとはまったく違った喜びに満ちていた。これがし
あわせという言葉の意味なのだと思い、この贈り物は永遠に続く贈り物だと信じ
た。翌年、サンタクロースの代わりを務める人はいなくなった。
 三十年前の今日、深夜になって夫は白い髭をつけ赤い服を着たまま帰ってき
た。
「ああ、疲れた。夢を分け与える仕事だとか言われてやっているが、こんなもの
俺の仕事であるはずがない。こんな屈辱的な労働は二度とゴメンだ」
 そう言って寝床に入った。どうせならその姿で我が子にも喜びをあげたらいい
のにと思ったが、夫の疲弊した様子に口を開くことが出来なかった。作家を目指
していると口先では言っていた夫は、実際はただの失業者でしかなかった。働く
ことを嫌がる夫のためにようやく探し当てた楽な仕事が歩く街頭広告の仕事だっ
たのだが、仮装までして収入を得るということが夫のプライドを傷付けたのだっ
た。自分で信じるほど文才もなく、自意識ばかり高くて努力をすることが嫌いな
夫は、それからしばらくしていなくなった。
 二十年前の今日、深夜までケーキを売り続けた。少しでもパート代を増やした
くて買って出た仕事だ。子供には申し訳ないが、この数年はひとりで夕食を食べ
ることに慣れてしまったようだ。父親不在の貧乏暮らしなのに、よくまぁグレもせ
ずに育ってくれていると感謝していた。だがその自慢の息子も翌年の夏、突然
の事故であっけなくこの世を去ってしまった。
 十年前の今日、私はひとりで公園にいた。遊んでいたわけではない。子供た
ちが昼間トンネル遊びをする遊具の中で寝泊りしていたのだ。数ヶ月前に賃料
を払えなくなった住まいを追い出され、行くところもなく彷徨った末に、その場所
に落ち着いたのだが、どうやらそこも立ち退かなければならない気配だった。公
園の近所の住人が通報したと見えて、警察官が何度も様子を見に来たのだ。
ついに公園は住む場所ではないと通達を受けて、私はまた光が華やかに点滅
する街をさまよい続けた。そのうちに空腹感と疲労感で意識を失ったのだが、
気がつくと診療所のベッドで眠っていた。
 
 あの日からまた十年が過ぎた。私はいま夢の中にいる。長い長い夢を見てい
るらしかった。自分の人生を振り返りながら、夢だとわかっているのに、ふいに
涙が流れ出し、そのことに気づくと今度は嗚咽が続いた。なぜこんな辛い人生
を歩むことになったのだろう。どこで道を誤ったのだろう。息子を亡くしたことか?
あれはどうしようもない事故だった。つまらない夫と結婚したことか? そうかも
しれない。あの恋人を失ったことだろうか。それとも。
 私の不幸は信じなかったことがはじまりだったのではないかと思い当たった。
サンタクロースを信じることをやめたあのとき。そこから幸せが逃げはじめた。
残念だなと言った父の言葉を思い出す。しかし、サンタクロースはそんなことで
制裁を贈るものだろうか。なんだか違うような気もする。はじめてサンタクロース
がやってきたとき。私は彼を認めなかった。ありがとうとも言わなかった。もしか
したら、あのとき、すべてが変化したのではなかっただろうか。
 夢の中でありながら、すべてが明瞭になり、過去から現在までが一本のトン
ネルでつながっているかのように見張らせていた。
 ふいに目が覚めた。夢の中ではないのに、目の周りが涙でぐしょぐしょになっ
て暗い部屋の中がぼやけている。ここはどこ? この部屋は見覚えがある。懐
かしい匂いがする。子供の頃住んでいた部屋のようでもあり、ただ空想しただ
けの場所のようでもあり。まだ夢の中なのか、それとも長い夢を見ていただけ
なのか。涙を拭うとサンタクロースの顔があった。彼は耳元で小さな声で囁い
た。
「メリークリスマス」
 私ははっきりと眼を覚まし、ベッドの中に横たわったままで彼の後ろ姿を見送
りながら、私はいま何歳なのだろうと思い出そうとしていた。
                             了

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第六百九十九話 イブ [文学譚]

 マッチを一本擦った。薄暗い部屋にぽっと一瞬明るさが灯り、顔の周りが暖
かくなる。そういえばこんな素朴な火を見るのはどのくらいぶりなのだろう。
六歳の誕生日に、おばあちゃんがこんな風にマッチを擦ってろうそくに火を
灯してくれた。小さな炎の向こうにおばあちゃんの微笑みがぽっと灯って、
何にも替え難い贈り物として記憶の中に刻まれている。そのおばあちゃんも
いまは空の上。
 寂しくなんてない。おばあちゃんの愛情がいまでも胸の中で生きているから。
ふと窓の外に目をやると、小さな星がこぼれるのが目にうつる。
「流れ星は誰かの命が消えようとしているってことよ」
 おばあちゃんの言葉が甦る。あれは誰の流れ星なのだろう。どこかで最後の
夜を終えようとしている人がいるのだろうか。その人は一人ぼっちなのだろ
うか。家族に囲まれているのだろうか。みんなに囲まれて微笑みながら最後
の時間を過ごせていたらいいな、そう思いながら燃え尽きて行く炎をじっと
見つめる。この火が消える前に私は。
 炎は軸の先から黒い背骨を作り上げながら指先に迫っている。すべてが灰
に変わる前に机の上のろうそくに炎を移す。消えかけた炎がろうそくの白い
軸に乗り移り、再び明るさを取り戻す。一本のマッチから一本の小さなろう
そくにバトンが渡されて、もうしばらくは暖かい時間が約束される。この炎
以外にはぬくもりのない部屋の中で、小さな炎に両手をかざして暖をとる。
 今日はクリスマスイブ。もうサンタクロースを待つ歳でもないけれども、
身体のどこかで何かが届くのではないかというかすかな期待がくすぶってい
て、まぁ、まだそんな子供じみた夢が眠っていたのだわとおかしくなってひ
とり笑い声を漏らす。他の屋根の下では、今ごろ温かいスープと、七面鳥と、
可愛らしいケーキを囲んでいる家族が笑いあっているのだろうな。そんなこ
とを頭に思い浮かべると、まるで自分のことのようにしあわせな気持ちが胸
の中に満たされていく。父母がいて、兄も一緒だったときには、それは私の
家の中の光景だった。あの頃の思い出があるだけでもありがたいことではな
いかと、感謝の気持ちが浮かび上がってくる。いや、いまが満たされていな
いということではない。いまだってこうして明るい光とぬくもりを分けてく
れている小さな炎の姿を、死ぬまで胸の中に留めておきたいと思っている。
 どんなことだってありがたい。何も足りないものなどない。すべては自分
の心の中で作り出すもの。すべては自らが生み出しているもの。不幸だと
思う気持ちも、幸福だと感謝する気持ちも。
 私はろうそくが燃え尽きるまでこうして炎を眺め続けた。やがて小さな炎
は背丈をも小さくし、じゅうという最後の断末魔の声と共に消え去った。

 静かに立ち上がって部屋のスイッチを入れる。空調の電源もオンにする。
ぼんやりと夢を見ていたかのような家族の顔を明るさが映し出す。
 ろうそくの素朴な炎は、どうだった? 幻想を見た? それとも何か別の?
誰もが黙っている。だが不満に思っているのではないようだ。それぞれが
しばし現れた異空間に酔っているのだ。
 ね、イブの夜には、こうして炎ひとつで過ごしてみるのも悪くないでしょ?
こういう幸せの感じ方もあるんだって、わかったでしょ?私はそう言って、
みんなのグラスに順番にワインを注いだ。
                                           了


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第六百九十八話 終末 [文学譚]

 世界の終わりが来る。ついこの間まで、そんな噂が流れていた。2012年

十二月の世界終末説だ。そもそもこの噂は、マヤ遺跡に残されたマヤ暦の

解読にはじまった。つまり、マヤ暦には宇宙の仕組みが組み込まれており、

太古よりさまざまな予言がされている。そしてその多くが的中してきた。とこ

ろが、そのマヤ暦がちょうど二千十二年十二月二十一日で終わっていると

いうのだ。多くの歴史学者が調べたそうだが、その事実には間違がないと

いう。さまざまな予言を行ってきた暦がここで終わっている? それを知っ

た者はすべて戦々恐々として、なぜ暦が終わっているのかを知りたいと思

った。だが、その理由はどこにも見つからない。結果、誰が言いだしたのか、

暦が終わるときに、世界も終わるのだという説が唱えられ、それが世界中

に広まったのだ。二千十二年十二月、世界の終が来て、魂の昇華とも言え

るアセンションがはじまる! こんな話まで作られてきた。

 ところが、その後の発掘調査で、新たな遺跡が見つかり、どうやらマヤ暦

は終わっているわけではなく、ひとつの区切りが終わるだけで、ここからま

た数千年の未来に向けて新たな時代が繰り出される、そういうことが書か

れているという。この話で、世界終末説はいったんトーンダウンしたが、地

元ではまだ、世界終末Tシャツや世界終末カレンダーなどがお土産物とし

て売られていたようだ。

 はたして、マヤ暦が終わりを告げた二千十二年十二月二十一日が、二

日前に過ぎた。幸か不幸か、私も世界も、まだ存続しているようだ。だが。

 私は自分の行動予定をスマートフォンのカレンダーアプリで行っている

のだが、昨日までの予定はほぼ書き込み済だ。そろそろ次の予定を入力

しておこうと、来月の頁を開こうとするのだが、なぜだか開けない。それだ

けではない。今月のカレンダーも、よく見ると明日のところが白くぼやけて

いるのだ。なんだこれは? アプリのバグか? 何度も試してみるが、今

日のところまでは記入できるのに、あす以降が書けない、というよりは存

在しないのだ。これはいったい? 以前のマヤ暦で言えば、私の世界が

今日で終わるということなのか? そんな馬鹿な。これはバグに決まっ

ている。アプリの制作者にクレームをいれなければ。いままでとても便利

に使ってきただけに、いまさらほかのカレンダーには代え難いし。しかし、

これがほんとうは私自身の終末を暗示しているのだとすれば、私は今日

で、もしかしたらいますぐにでも終わってしまうのだろうか。ある瞬間で、

私はぱっと消えてしまったりして……くくく。そんなことを妄想しただけで

なんだか楽しくなる。これ、誰かに面白おかしく話たら受けるかなぁ。私

はそう思っ

                                   了


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第六百九十七話 ミサイル発射 [日常譚]

 困ったものだ。また隣の奴らがとんでもないことを目論んでいるようだ。

サイル実験。だいたい何故そのようなことが必要なのかわからない。実験

だとかテストだとか言っているようだが、面白がってやっているとしか私に

は思えないのだ。窓外を眺めながら野田山は頭を悩ませていた。どうやった

らやめさせられるのか、もし、こちらに飛んできたらどうすればいいのか、

果たしてその場合、迎撃などということが自分にできるのか。

 だいたい頭がおかしいとしか思えない。子供がやっているのかと思った

ら、親父も一緒になってやっているのだ。いや、違う。あそこの親父はもう

亡くなった。もともと親父がそんなことをやっていたものだから、子供が真

似してやっているのだ。ノブどんかテツどんか知らないが、ミサイルに妙

な名前をつけて。この間から奴らの領地でミサイル発射のための装置が

設置されはじめているのを知っている。あんなところから発射すれば、間

違いなくこちらに飛んでくるだろう。ほんとうに困ったものだ。どうしたらい

いのだ。

 頭を悩まし続けるまもなく、ついに実験が施行されてしまったようだ。十

二月十二日午前九時四十五分、それは発射台から飛び出した。ぷしゅぅ

と異様な音がして、我地の上空を飛び越えて裏の池に落下したようだ。

なんてことだ。やはり家に向かって飛んだではないか。ペットボトルで作っ

たミサイルといえども、危ないではないか。断固抗議せねば。だが、隣家

はややこしい。伸夫、哲夫兄弟は直ぐに逆ギレするし、母親は町内一の

クレーマーだ。だから誰も敵に回したくないので、町内会の誰ひとりとして

彼らに触りたい者はいない。

 ああー、文句もいえないのか。ほんとうに困った。

                                了                        


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