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第四百七十二話 Sweet&LittleTales2-妖星ゴラス。 [純小説家]

 大きなスクリーンで見るのは初めてだった。何しろ、テレビもまだ白黒だっ

た時代。母に手を引かれて、私と兄ははじめての映画館を訪れた。真っ暗

に消灯された広い空間に据えられた椅子の上で、期待と不安を天秤に掛

けながら、私は母の顔を覗き込む。ニッコリと笑い返してくる母。目の前の

大きなスクリーンでテレビがはじまった。なんて大きな人なんだ。なんて大

きな車なんだ。よくはわからなかったけれども、そのうち、「3,2,1、0・・・」

と宇宙船が発射されて、スクリーンは真っ暗な宇宙空間。そこに主人公たち

が乗った宇宙船が浮かんでいる。宇宙船の前に星が現れる。そうだ、この星

が地球に近づきつつあるんだった。この遊星の軌道を変えるために、宇宙船

は宇宙に放たれた。遊星の軌道を変更する装置を取り付けるために着陸した

宇宙船の前に、突然セイウチ型の巨大怪獣が現れて襲ってくる!ぎゃぁ~私

は恐ろしくなって座席から逃げようと立ち上がる。慌てて私を捕まえる母。恐

怖で泣きそうになっている私を、母は小声でなだめすかして落ち着かせた。

直ぐ後ろでスクリーンを見ていた男の人が、うるさい子供を黙らせようと思っ

たのか、自分が食べていたチョコレートのかけらを銀紙に包んで母に預ける。

母は男に頭を下げさげ、私と兄にチョコレートを渡す。

 これ以来、私は大のSF好きとなった。この映画のお陰なのか、チョコレート

のお蔭なのか、それは不明なのだが。

                           了

 ※実際にあった妖星ゴラスとは違うストーリーを語っています。これは飽くまでも筆者の記憶に残って

いたものを再現しており、飽くまでもフィクションです。妖星ゴラスWikipedia

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第四百七十一話 Sweet&LittleTales1-いちばん古い記憶。 [純小説家]

 いったい人は、どのくらい旧い記憶を覚えているものだろうか。まさか母親の

お腹の中にいた記憶があるなんて人は居ないと思うけれども、もしかしたら、

一歳くらいの時分を覚えている人はいるのかもしれない。実際、古い写真を見

て、それが自分の記憶として再メモリーされているケースもあるのかも知れな

いけれど。私が最古の記憶と思っているのは、たぶん三歳になる前くらいの事。

当時岡山市内に住んでいた私たちは、父の会社が家族用の社宅として借り入

れていたアパートに住んでいたのだが、子供が大きくなってきたために手狭に

感じはじめたのだろう、あるとき両親が、一軒家に引越しすることを決めた。

 引っ越しの日の全体についてはほとんど覚えていないが、家財を積み込んだ

トラックの助手席に私と母が乗っているシーンだけがくっきりと記憶の底に張

り付いている。初めて見る引越屋のおじさんが運転するトラック。その隣に私、

そしてその隣に母。足下には他の荷物とは別にされた金魚鉢が置かれている。

金魚鉢がひっくり返らないように、どのように固定されていたのかは覚えていな

いが、金魚鉢の中の水がぴちゃぴちゃと揺れ動き、揺れる度に水の中の金魚

が不安そうな貌で今にも飛び出しそうになっていたのだけは記憶の中だ。

 車が走る。ぶぉー。水が揺れる。ぴちゃんぴちゃん。ぶぉー、ぴちゃんぴち

ゃん。金魚が踊っている。水と一緒に踊っている。いつまでこれが続くのだろ

うかと身を固くしている私は、金魚と同化して、泣きそうになっていた。


                          了

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第四百七十話 金環視。 [純小説家]

「お前、そんなサングラスで見るつもり?」

そうだよ。いつも、これで太陽みたりしてるもん。美由は、シゲタの言葉に反

発した。そんな、みんな金環だ、金環日食だって、生きてるうちにはもう見れ

ないぞなんて大騒ぎしてるけど、ちょっと騒ぎ過ぎてない?と、美由は内心そ

う思う。

 前の日にシゲタから電話がかかってきて、一緒に金環食を見ようと誘われた。

いいよ、と気楽に答えてから、朝早いと聞いて億劫になっていたのだ。実は美

由は全く興味がなかったのだ。シゲタに誘われたから、気楽にいいよって言っ

ただけ。だから、別に何も用意してなかった。それどころか、五時半に家に行

くからと約束したのに、目が覚めたのは五時半直前だった。玄関でシゲタを十

分以上も待たせて、着替えをし、化粧もそこそこに寝ぼけ眼のまま外に出かけ

た。

 シゲタは何処かで買ってきたという日食観測グラスとかいう紙で出来たレン

ズの部分が真っ黒な色眼鏡を持っていた。

「これって、昔なんかの付録でついてたようなやつじゃないの?こんなので大

丈夫なんだったら、私のサングラスでもいいんじゃないの?」

美由はまだそう言っている。二人は近くの公園で金環日食を見るつもりだ。金

環状態になるのは、七時二十九分で、太陽がかけ始めるのは六時十七分くらい

から。その全ての天体ショーを楽しもうと、シゲタがそう提案した。私は別に

見なくてもいいんだけれども、シゲタがあまりにも熱心にいうものだから、付

き合ってみることにしただけだ。

 シゲタが言うには、太陽の真ん中が影になるといっても、周りは太陽の強い

光のままだから、決して直接太陽を見たりしてはいけないらしい。それに、子

供の頃にやってた煤で焦がした硝子板や、普通のサングラスなどでさえ、目が

傷んでしまうから絶対にだめだと言う。そぉんな。私は昔、学研の付録に付い

てた硝子板をろうそくの煤で焦がして太陽を見たよ。あれは間違いだったと言

うわけ?今更。と言って笑った。目が悪くなるって、ちょっと見るくらいなら

大丈夫だわよ。そう言って美由はサングラスをかけた。

 天気予報が曇りだと言ってたけれども、何とか太陽は現れた。少しずつ上昇

していく太陽と時計を見比べながら、六時十七分を待った。すると、おお!太

陽が欠けて行く。期待していなかった美由はちょっとだけ感動した。それから

一時間とちょっとかかって、地球と太陽の間に割入った月が太陽に影を落とし

て行く。どんどん三日月のようになって行く太陽を、美由とシゲタは不思議な

気分で眺めていた。もちろん、シゲタは買ってきた紙の眼鏡をかけて。美由は

自前のサングラスをかけて。

 雲の中に見え隠れしていた太陽は、七時二十九分、ついに月が太陽の真ん中

に入り込んで、三日月からリングになった。周囲から歓声が上がる。シゲタが

持参のカメラで一生懸命写真を撮っいる間、美由はワァとかキャァとか、奇声

を上げながら太陽を眺めていた。

「すごかったな。」

「うん、ありがと、見てよかった。感動した。」

美由はそう言いながらサングラスを外してシゲタに笑いかけた。すると、シゲ

タが驚いた顔で美由に言うのだ。

「おい、美由。お前そんなおかしなコンタクトつけているのか?」

美由は別におかしなコンタクトなどつけていない。何を言ってるのだろうとシ

ゲタを見ると、シゲタの姿が輪郭だけになっている。

「ちょっと、シゲタこそ何よ、それ。どうやってるの?」

「どうって何が?そんなことより、お前、目が金環食みたいになってるぞ。真

ん中が黒くて、周囲が黄色い。びっくりしてる猫の目みたいだ。」

 不適格なサングラスで金環食を見続けてしまった美由の両目は、金環食の光

のリングが焼き付いてしまったのだ。当然、そんな事になれば、視力にだって

影響する。普通なら失明しかねない所だが、どういうわけか美由の目は、視力

に異常は生じなかったのだが、視野がおかしな事になってしまったようだ。つ

まり、金環食と同じように、見るものの真ん中が真っ黒で周囲だけが見える。

だからシゲタの姿も輪郭だけが見えて、その中は真っ黒に見えてしまう。やは

りシゲタが言った通りだった。それは目に焼き付いてしまっているから、美由

はもう生涯、”金環目”で暮らしていかねばならなくなってしまったのだ。

                   了

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第四百六十九話 打ち明け話。 [純小説家]

 私は今、この場を借りて、見知らぬ皆さんに真実を打ち明けようと思います。

それが私自身のためにもなる筈だと考えたからです。

 実は、私はこの世界の人間ではないのです。随分昔の話になってしまいます

が、私はいつものように学校に向かっていました。高校生になったばかりで、

それまでは家の近くにあった中学校へは徒歩で通えていたのですが、高校まで

は少し距離がある。だから他の生徒と同じように、私は自転車で通っていたの

です。その通学路の中間には大きな川が流れていて、一キロほどもある長い橋

を毎日渡っていたのです。橋は自動車が走る舗装されたレーンが真ん中にあっ

て、その側に人と自転車用に鉄板敷きのレーンが設置されていました。自動車

とは隔離された通りなので、私たちは安心して橋をわたれるということです。

  普段は遅刻寸前で走っているのですが、その日は珍しく早く目が覚めたので、

余裕を持って家を出て、ゆったりとした気分で橋を渡っていました。そんな訳

で、私はペダルを踏みながら、いつもは見ない川面を眺めていたのです。

  良いお天気で、川面はキラキラ光って私の顔に照り返して来ます。眩しい。

そう思ったとき、キラキラした光が空中に浮き上がって来たように思えたの

です。あれ?何だ?私はペダルを踏む足を止めて、橋の手摺に身を乗り出し

ました。光はどうやら、川面の反射ではなく、もっとこちらの方、そう、橋

の手摺のすぐ下辺りに浮かぶ何物かだったのです。今思い出しても、それが

何なのかはわかりません。わからないからこそ私はその光に手を伸ばしまし

た。弾みというのは恐ろしいものです。自転車がバランスを失って、手摺に

倒れかかり、私は手摺から川の方へ放り出される形になってしまったのです。

「あっ!」

  そう叫んだ時には、私は橋から落ちてしまったらしいのです。らしいと言っ

たのは、結局私は橋から落ちなかったからです。でも、確かに一度は手摺か

ら外に出てしまった。そして、よくはわからないのだが、光の中に吸い込ま

れた、そんな気がするのです。気がついた時には、元いた橋の上で自転車に

またがっていました。何も起こらなかったかのように。光はやはり川面から

反射しているだけでした。私は気を取り直してペダルを漕いで、そのまま学

校に向かいました。

  何も起こらなかった。何もなかった。私はそう信じて数日を過ごしました。

しかし、何かがおかしい。何かが違う。そう感じ始めたのです。両親も、兄

も、クラスメイトも、先生も、以前と変わりなく存在している。だけど、私

自身の中に違和感がある。自分でもわからないのだが、私の中のDNAや脳細

胞の一つ一つが、何かが変わったと叫んでいるのだ。

  不思議なことに、私の脳に刻み込まれた記憶は、今も昔も何一つ矛盾してな

いと言っているのだが、記憶ではない何か、私の魂とも言うべき存在が、違う

と主張しているのだ。

  私が自分の中の違和感がただの違和感ではないと確信するまでには随分長い

時間がかかりました。周りが、世界が変わったのではなく、私自身が変わって

しまったのだということに気がついたのです。

  あの時、あの橋の上で、光は本当に宙に浮いていたのです。そして光は何か

次元の裂け目とも言うべきものだった。私はその裂け目に落ちた。

   つまり私は、誤って次元の割れ目に落ちてしまった。そしてこの世界にやっ

て来たのです。もう長い間こちらに住んでいるわけですが、数十年過ぎてなを、

この世界の民に成り切れないでいる。そこで私は、インターネットという道具

を使って、様々な人々とコンタクトを取り、私と同じような人間がいないか、

私と似たような経験を知っている人はいないか、そんな情報を探しているので

す。何故、私がこんなことになったのか、ただの偶然なのか、ただの事故なの

か。あるいは、何かをするためにこの世界に送り込まれたのか。私には何か使

命があってこの世界にやって来たのではないのか。それがわかれば、私は今の

自分を完全に受け入れ、この世界の住人の事を、そしてこれを読んでいる皆さ

んの事を理解出来るようになるかも知れない、そう考えてこのブログを書き続

けているというわけなのです。

 こちらの世界で長い時間を費やしてしまった私はもう、元の世界に戻る事は

出来ないと思います。というのも、もはや元の世界が何処にあるのかすらわか

らなくなってしまっているからです。だから皆様、この先も私がここで生き延

びて行く事が出来ますように、この世界の様々な秘密や処世術を、教えてくだ

さると助かるのです。もしかしたら、私と入れ替わりであちらの世界に飛ばさ

れてしまったと考えられるもう一人の私も、この私と同じ事を考えているかも

知れませんものね。

  ひとつ、重要なことを書きそびれていました。何故書きそびれたかというと、

これが私自身の変化を確信するに至った最も重要な事実であり、また皆さんに

とっては最も信じ難い事だと思うからです。

   こちらの世界と、私が元いた世界は、何一つ違いを感じられないほどそっく

りですが、何かが逆転している場合があるのです。左右が違っているとか、役

割が違うとか、そんな事です。私はこちらの世界では完全に男性ですが、向こ

うにいたの私は、スカートをはいて自転車に乗る女子高生でした。私の中の魂

の記憶がそう言っているのです。こちらにきた時に、男子高校生になっている

ことに気がつかなかったのは、こちらの世界での私は、生まれた時からずっと

男性で、その肉体の中にすんなり入ってしまった私は、肉体の記憶によって、

それが当然だと思い込まされていたのです。だけれども違和感を感じ続けたの

は、魂の記憶がしっかり残っていたからに違いありません。

 これが私の打ち明け話のすべてです。こんな話をしたところで、元の世界に

戻れるわけでもありませんが、私が心底、こちらの民として、この世界に馴染

むためには、話さないわけにはいきませんでした。少なくとも、これを読んで

いるみなさんは、私の未来が平穏であることを祈ってくれるものと、私は信じ

ています。

                        了

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第四百六十八話 喇叭少女の憂鬱。 [純小説家]

 毎朝七時に学校へ行って、早朝練習をしてから授業に出る。まだかまだかと

思いながら授業を受けて、給食が終わると音楽室で楽器を磨く。午後からは二

時限だけだ。六時限目が終わるチャイムを聞くと、そそくさと音楽室に戻って

また練習を始める。

 中学校の吹奏楽部でトランペットを吹いていた私は、卒業までの三年間を一

日も休まず、こんな風に過ごした。トランペットの練習は、音符を追いかける

ことよりも、音を出すことが最も重要なのだ。ロングトーンといって、Fの音、

つまりB管トランペットのソの音を長く、安定させてならし続ける。1年生の

時はそれだけで一日の練習が終わってしまう。やがて上達してきたら、F音以

外に、B♭音、つまりトランペットの上のドの音もロングトーンする。

 ソーーーーーー、ソーーーーー、ドーーーーーー、ドーーーーー、という

練習。さらに上達すると、ソからドまでの全ての音を半音ずつ上げて、次には

ドから下がってきてソ、さらに下がって下のドまでの音を、半音ずつ下げてい

くというロングトーンをする。一年生の間は、ほとんどこんな練習なのだ。

 一年生も後半になると、練習譜を渡されて、みんなでそれを練習する。よう

やく譜面にありつけるわけだ。ピアノでいう所のバイエルだ。だが、トランペ

ットの練習譜というものは、最初のページはロングトーンを譜面にしたような

ものなので、面白くもなんともない。ドーレーミーファーソー・・・そんな譜

面。真ん中あたりから四分音符や八分音符も出てきて、ようやく何か音楽をや

っているようなつもりになれる。そして、この頃になると、簡単な行進曲の楽

譜も渡されて、上級生と一緒に朝礼の時の演奏などにも参加できるようになる。

 こうした行進曲に始まるアンサンブルの楽譜は、楽器毎に四パートくらいで

構成されていて、長い練習時間を費やした最上級生がトップのメロディーライ

ンを受け持つのが倣いだ。下級生が吹く低音域パートはハーモニー部分なので、

一人で吹いているととても音痴な譜面で格好悪い。

 たとえば最も有名な行進曲のひとつ、「星条旗よ永遠なれ」という行進曲。

上級生が担当するファーストトランペットの譜面は、あの有名なメロディで、

高らかに「ターンターカタタータ、タタタタタ!」と歌い上げるのに対して、

四番のトランペットは、同じリズムではあるが「ドードードドドーミ、ソラ

ソソソ!」という具合に、同じ低い音を繰り返すような低温域ハーモニーを

担当する。これは一人で吹いていたら、何の曲だかわからない。

 そんな下積みを終えて三年生になった私も、当然ながらメロディパートを

吹くはずだった。だが、上級生になったある日、部員全員で行うアンサンブ

ル練習を指導していた教師が、みんなの前で私に言った。

「ちょっと難しいようだな。一番トランペットは二年生の山口君と交代しよ

う。わかったね。」

 私はファーストトランペットに落第したというわけだ。私は、ファースト

トランペットのメロディパートを吹くためにとても重要な、高音域を出せない

でいたのだ。あんなに練習を重ねてきたのに。

 二年生の山口君より、一年間も多く練習してきたのに。頭の中の血液がぜん

ぶサァーッと背筋の方へ落ちて行くのを感じた。涙で楽譜が見えなくなった。

 これが私の、人生最初の躓きだった。

                       了

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第四百六十七話 お散歩びと。 [お茶の間小説家]

 趣味は何かと聞かれたら、「お散歩」と答えるようにしている。本当は、趣

味というようなものではないのだが、他には何も趣味らしきことをしていない

から。実際、趣味という以上に、お散歩をしているのだから、あながち間違い

でもないのではないかな。

 もともとは、ちょっと気晴らしに歩いてくる、という感じだったのだが、今

ではそんなレベルではない。好きで歩いてるとも言えるし、健康のために歩い

ているとも言える。でも、実は好きで歩くのと、健康のために歩くのとでは、

歩き方が全然違うってことは、最近では素人でも知ってるよね。

 天気がいいから、気持ちがいいから、お散歩するっていうのは、本当にぷら

ぷらと、寄り道しながらって感じだと思うんだけれども、これが健康のために

なるかと言えば、こんな歩き方では、全く健康にはプラスにならない。健康の

ためのウォーキングをするなら、テンポ良く早足で、五分も歩けば汗がにじみ

出てくるくらい一生懸命に歩かねば意味がない。

 最近知ったことだが、歩く以外にも、あのラジオ体操でさえ、一生懸命に力

を込めて行えば、これはもう大変な運動になるそうだ。同じように、歩くので

も、一生懸命、全身全霊を込めて歩けば、いい運動になる。

 これも最近知ったのだが、ロング・ブレスダイエットというダイエット法を、

美木良介という俳優さんが開発したという。これも基本のやり方があるのだけ

れども、これをウォーキングにも応用できるそうだ。

 ワンツーワンツーの行進曲みたいなテンポで歩くときに、イチ、ニー、サン、

シで息を吸い込み、五、六、・・・ジュウイチ、ジュウニと八拍子で吐き出す。

これを五分間くらい続けるのだ。こういうのを毎日やっていると、どんどん健

康になり、ダイエットも出来るそうだ。

 ところで、通常、健康のためになるお散歩は、一日1万歩くらいが目安だそ

うだが、私の場合は、昔はそれ以下だったが、今となってはもはや五万歩とか、

ひどい時には十万歩ということすらある。そんなに歩いたら疲れるだろうと言

われるが、これが毎日のこととなると、そうでもないのだ。むしろ、どんどん

先に行きたくなる。

 いうのを忘れていたが、私のお散歩は進む一方だ。家を出てお散歩して帰っ

てくるというのではなく、行きっぱなしなのだ。つまり、お散歩でたどり着い

た先が家になる。公園のベンチだったり、橋のたもとだったり。え?それって、

ホームレスだって?そうかなぁ。確かに、家を持たないからホームはレスかも

知れないが・・・でも、私はお散歩びとだと思ってるよ。東京を出発したのが

およそ十年前。ずーっと北に向かって毎日毎日一万歩づつ歩き続けて、東北か

ら津軽海峡も渡って北海道は網走まで歩いた。北海道でのお泊りはきつかった。

何しろ、秋口だったとしても寒いんだから。むしろ、真冬なら雪が降るから、

雪に穴を掘って家の代わりに出来るけどね、秋口はいけないなぁ。だが、なん

とか風雨をしのいで、春先にはまた青森まで戻って来た。そんで、日本海側を

ずーっとお散歩して、今ようやく舞鶴って言うところを歩いている。十年で日

本半周だよ。すごいだろ?ワイルドだろぅ?そんなわけで、今も歩きながら、

これを携帯で書いてる。これから南下して、また東京まで戻るには、もう十年

もかかるかな?いや、もしかしたら、沖縄あたりでぬくぬくしちゃって、もう、

歩くのがいやになっちゃうかもね。むふふ。さぁ、これからもう三万歩ほど、

先に進まなくっちゃ。

                       了

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第四百六十六話 ペット被災。 [お茶の間小説家]

 「どうして、こんな事になっちゃったのかなぁ?」

二郎は心の中でそう思った。俺らは、真面目に暮らしているのに、仲間が次々

とひどい目に合っていく。今まであたたかい家の中でぬくぬくと幸せに暮らして

いた娘も、一人取り残されて、一家はどこかへ消えてしまった。つい最近まで元

気に走り回っていたあいつも、大怪我をして死んでしまった。

 俺たちが何をしたというのだ?何もしてないさ。本当に何も。何もしてないのが

悪いだなんて言わせないぞ。何もしないのが俺たちなんだから。言ってみれば、

何もしないことが仕事みたいなものなんだから。俺たちが悪いんじゃない。悪い

のは奴らだ。みんな人間の仕業だ。

 どこか地方で原発とやらが壊れたって?それで人間が住めなくなった土地に

ペットが取り残されて被災してる、それが俺たちかって?とんでもない。そんな

ローカルだけの話じゃないんだよ。国中で起きている事なんだ。

 本当は家の中に住みたいんだよ。狭い家の中が安全だから。なのに、勝手

に放り出されてしまう。俺のかぁちゃんに子供が出来れば、子供たちはどこか

に連れ去られてしまう。その上、かぁちゃんは腹まで切られて。俺だって、タマ

を抜かれたよ。挙句の果てには俺たちゃ捨てられた。捨てられてもそれに気

がつかずに近所の公園でのんびり暮らしていたら、向こう通りに渡ろうとした

かぁちゃん、大きな箱が走ってきてぶつかって大怪我して死んじまった。

 なんだよ、あれは。あんな四角い箱がなんで動いているんだよ。あれもこれ

も、全部、人間の仕業だろ?俺らはみんな静かに暮らしたいだけなんだよ。な

のに人間が手出しして、俺たちを散々弄んで、どっかに放り出して、逃げて行

って・・・。俺たちはいい迷惑なんだ、ほんと。どうか、もう、俺たちにかまわず

に、ほおっておいてくれないかな、人間てやつは。

 しかし・・・腹減ってきたなぁ。そろそろメシ、来ないかなぁ・・・・・・。お!来た

来た。俺の飯係が飯持って来たぞぉ!飯だ飯だ!早く早く、にゃーおーーん。

                           了


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第四百六十五話 擬態科学。 [お茶の間小説家]

 「先進の技術を駆使してというが、実は、最先端のテクノロジーは大自然の

中にあるのだ。」

ドクター若松が言った。さまざまな技術を追い求めてきた人類は今、動植物が

持っている骨格や動きに注目し、そこにヒントをえることによってより先進の技

術が手に入ると考えている。それらを総称してバイオミミクリーという。

 例えば最近よく聞くのがロボット。ムカデを模した多足ロボットは安定がよく、

凹凸のある地面でも倒れることなく貨物を運ぶ。蟹のように八本の足を持つ

ロボットも砂浜等で威力を発揮する。また、蛇のような動きをするロボットも

また沼地や砂浜を進んでいくのに適している。

「博士、ロボットばかりですね。」

「いや、そうとは限らんよ。これを見なさい。」

若松博士が手にしているのはモップのような毛が生えたような布。

「これは、バイオファイバーだ。ヤモリの吸盤足を真似して作られている。ほ

れっ。」

博士がバイオファイバーを壁に投げると、その毛の生えた布は壁にぴたりと

張り付いた。そのほかにも、ハコフグのフォルムを真似てデザインされた車

、カワセミの嘴を真似た流線型の列車、蓮を真似て雨水をはじく壁材、蝶々

の鱗粉のような光を放つ塗料、海藻が水中でなびく様子を模した波動感知

システム等など。本当に、枚挙に暇がないほどバイオミミクリーはあるようだ。

「素晴らしいですね博士。で、これからどんなのが考えられますか?」

「そうじゃなぁ、ヨツメウオの目を真似して水中にいながら水上が見えるっていう

のはどうかな。」 

「それって・・・潜望鏡ですよね。」

「そうか。うーむ、では、キリンの首を模した、樹木の剪定鋏みはどうじゃ。」

「それも、すでにありますよね。」

「クジラみたいな~」

「潜水艦!」

「鳥みたいに空を~」

「飛行機でしょ!」

「モグラみたいに土を掘って~」

「掘削機!」

「ええーっと・・・。」

「それも、もうある!」

「わしゃ、まだなぁんも言うとらんぞぃ。」

「博士が生み出したのは、いったいどういうのなんですか?」

「うぉっほん、それはじゃなぁ、それは、ソレは、ソレハ・・・ソレハ、ソ、ソ、

ソレハ、実ハ、ワシ自身ガソウナノジャ。」

博士は突然ロボットみたいな口調で喋り出した。

「ワシハ、ヒト型ロボットジャ。結局ノトコロ、人間ノ動キヲ模シタばいおみ

みくりガ一番素晴ラシイ・・・。」

そう言いながらロボットの動きで立ち去っていく博士の後ろ姿を見つめな

がら雑誌の記者たちは顔を見合わせて言った。

「流石っちゅうか、やっぱりっちゅうか・・・やっぱ、バカ末博士と呼ばれる

ワケだ。

                             了


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第四百六十四話 アイドル。 [お茶の間小説家]

 テレビ画面に往年のアイドル、森野昌子が映し出されている。その姿を見て

いた太田美紀は言った。

「昌子ちゃん、今になってやっときれいになったわね。デビュー当時、確かに歌

は上手だったけれども、あのタワシみたいな頭はひどかったもの。」

 当時、森野昌子は、同年代のアイドルだった山口白恵、桜木淳子と共に中三

トリオとして売り出していた。美紀は彼女たちより少し上の世代だが、当時の事

をよく話す。

「実はね、私はあの人たちと一緒にデビューするはずだったの。ほら、あの子た

ち、みんなスカウト番組の先駆けだった”アイドル誕生!”って番組から出てきた

でしょ?私も、あの番組で十週勝ち抜いたのよ。今では誰も覚えていないとは思

うけど。それで、あの子たち三人と一緒に、アイドルカルテットってニックネームで

売り出そうかって話になってたの。ところがね、三人は当時中学生、私はもうすで

に高校生になってたから、困ったなってことになって。」

 同じ中学生の三人組をトリオで売り出したほうが絶対にいいということになった

という。では一人残された美紀はどうするのか。歌は上手いが高校生だし、一人

で売り出したらどうかという方向で進み出していた矢先。美紀を妬む誰かが、美

紀のプライベイトを暴露する手紙が美紀がいるタレント事務所に投げ込まれた。

 手紙はもちろん匿名で、書かれていたのは一言だけ。そして医学辞典の一頁

をコピーしたものが同封されていた。

『太田美紀は女じゃない。』

 これはどういうことだ?本当なのか?美紀は事務所の社長に詰め寄られた。

美紀は、小さな声で「私は、女性です。ですが・・・・・・女性です!」と答えた。で

すがなんだ、今、ですがと言いかけたな、とさらに突っ込まれて、美紀はとうとう

白状した。

 クラインフェルター症候群。1942年にハリー・クラインフェルターが発表した遺

伝子異常の症例だ。通常男性はXY、女性はXXという一対の性染色体を持って

いるのだが、千人に一人という割合で、男性のXYよりも一つX染色体を多く持っ

て生まれてくる赤ん坊がいる。つまり、XXYという性染色体を持って生まれてくる

わけだ。これは果たして男性なのか女性なのかというと、通常、外性器は男性型

で現れる。そして、二次成長期に至って初めて女性特性が表出し、胸が膨らんで

きたり、声変わりが無かったりするのだ。美紀の場合は、さらに陰茎無形成という

異常が併発していた。

 美紀は女の子として育てられただが、生物学的には、女でも男でもない、そ

の中間。そして何よりも美紀自身は自分を女性として認識していた。

 昨今でこそ、はるな愛子とか、佐藤佳代美とか、男性でありながら女性とし

て生きている人がタレントとして活躍しているが、三十年も前の事、まだまだ

そういう個性が受け入れられる時代ではなかった。見世物小屋の生き物の

ように世間にさらされ奇異の目で見られるのが関の山だった。それに、はる

な愛子や佐藤佳代美はもともと男性出会ったことがはっきりしているが、美

紀の場合は、それさえも曖昧なのだ。もともとわかりにくい性であるのに、

世間を偽ってデビューさせることは出来ない、事務所の社長はそう言った。

 だけど、と美紀はさらに付け加える。もし、自分に男性器が形だけでもあ

ったなら、郷田ひろみのように女の子のような男の子として売り出す手立て

はあったのだ。だが実際には男性器はないので、それもできずにいたら、

そのうち郷田ひろみがデビューしたのだという。

 「ああ、私が本当の女の子だったなら!私は間違いなくいい歌手になって

いたわ!だけど、世間は残酷だわ。性別ひとつで人を判断するなんて!」

 こうした美紀の世の中への怒りは、彼女のパワーになったという。歌手と

してのデビューの道を断たれた彼女は、それから懸命にダンスのトレーニ

ングをし始める。やがて、トップダンサーと並ぶほどのテクニックを身につ

けて、自ら不思議なダンスを創造したという。氷の上を後ろ向きに滑るよう

に踊ったというのだ。美紀はこの新しいダンスウォークに”アイス・スライド”

と名前をつけた。まもなくこのダンスを抱えて渡米した美紀は、アメリカで大

ブレイクするかと思いきや、そうはならなかった。アメリカでのつてを持たな

い美紀は、路上でダンスを披露していたところ、隣でブレイクダンスのパフォ

ーマンスをしていた黒人に珍しがられて、踊り方を教えた。すると、そのジェ

フリーなんとかという男が自分のバンドのステージで、美紀のアイス・スライ

ドを披露したところ、大ウケに受けたのだ。さらにその後、彼のジャイケル・

マクソンがこのダンスを自らのパフォーマンスに取り入れて”ムーン・ウォーク”

と名前を付けたのは、万人の知るところだろう。

 美紀は独白する。その後も、マンドナや、最近ではテディ・ガガというアー

ティストとも親交を持ち、自分は影のアイドルとして生きてきたのだと。

 周りで聞いているものは、みんなよくわからないままに「へー!」とか「ホ

ー!」とか、感嘆の声を上げているが、実際、美紀の話はどこまでが本当

なのか分かりづらい。よく考えてみると、つじつまの合わないことだらけの

ような気もするのだが。まぁ、だけど、そういうことで美紀の気分が少しでも

よくなり、快方に向かうのならば、好きに言わせておくがいい。誰かに危害

を及ぼすというものでもないのだから。

 「さぁ、美紀さん、そろそろお部屋に戻りましょうかねぇ。」

私はそう言って、美紀が座っている車椅子の背中に着いたハンドルを握り

直す。美紀が話す内容は、もう大体覚えてしまったが、夢のある、とても楽

しい話だ。もし美紀のような妄想を描いて生きていけるのなら、それもまた

幸せなのではないかな、看護師という地道な経歴しか持たない私はそう思

うのだ。

                                了


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第四百六十三話 黄昏時の恋。 [恋愛小説家]

 「秋ちゃん、ちょっと待って。」

 秋生の足は早い。秋生と並んで歩いていた春代は、そのうち息が切れて遅れ

がちになってしまった。もともと体力に自身がない春代は、最近、頓に息が続か

ない。こんなことでは、来月、皆で出かけるハイキングへの参加もおぼつかない。

 歩くことが大好きな二人のデートは、もっぱら近所のお散歩だ。たまには喫茶

店に入ったりもするが、安上がりだし健康的でなかなかいい。何より、二人は同

じ住所に住んでいるから、わざわざ何処かで待ち合わせしなくても、どちらかが

部屋の扉をノックしさえすれば、いつだって散歩に出かけられるのだ。

 住まいからの行き道は何通りもあって、今日は川沿いの公園に向かっていた。

この地域で最も大きなこの川は、街全体に飲料水を供給する役割を持った川な

のだが、昔はすごく汚れていた。こんな川の水を飲んでいるのか、とがっかりさ

せられるくらいに汚かったのだが、市が率先して環境の浄化を始めてからは次

第に美しさを取り戻してきた。今では河川敷も整備されて、市民の公園として憩

いの空間を提供している。西海岸のゴールデンゲイトブリッジとまではいかない

けれども、恋人たちの恰好のデートスポットにさえなっているのだ。

 私たちも、週に一度はこの場所でデートする。公園のそこここに設けられた花

壇には季節毎に美しい花が咲き乱れるのも好ましいが、ぼんやり二人でベンチ

に腰掛けて、入道雲を身近に感じる夏もいいし、厚手のコートを着ていても凍え

そうになる真冬に、二人でマフラーを分け合うなんて、若いカップルの真似をし

てみるのも楽しみだった。

「春ちゃん、大丈夫?ごめんごめん、僕がちょっと調子にのって早く歩き過ぎた

ね。なんだか今日は調子がいいので、ついつい頑張ってしまったみたいだ。」

「ふぅー、ま、許す。元気だってのはいいことだから。」

「よかった。」

「でも、おかげで早く付いたわね、今日は。さぁ、どこかに腰掛けて休みましょ。」

特にお弁当とかお菓子を持ってきているわけではないが、春代はいつペットボ

トルの水は持ち歩いている。販売機で買うジュースなどよりも、水がいちばん。

常に体に水を供給してやるっていうのは、何よりも重要なのだ。美容にとっても、

健康にとっても。それに、薬を飲んだりするのにも水が必要だし。

 ペットボトルの蓋を回して一口飲んでから、春代は秋生にボトルを差し出す。

「飲まない?」

「あ、ありがとう、いただくよ。」

冷えていない、生ぬるいくらいの水だけど、少し歩いて汗ばんだくらいの体に

はそれさえもひんやりして心地いい。若い頃はキーンと冷えた水分を欲しがっ

けれど、冷たすぎる飲み物は体を冷やすから、本当はよくない。常温くらい

の水が体には丁度いいのだと、どこかの医者が言ってたっけ。

 この河川敷の公園は、二人のようベンチでくつろぐこともできるが、全体に芝

生が養生されていて、地面に直接寝っ転がったり、レジャーシートを敷いてお

弁当を広げるカップルも多い。そんな若い人たちの様子を眺めながら、春代

たちも、若者の一員になったような気分を楽しむのだ。

「なぁ、僕たち、百歳になるまで一緒にいようなぁ。」

「あらぁ、急になあに、ロマンチストだったっけ?」

「ほら、そんな歌があったじゃない?百歳になるまで~かなんか言う歌。」

「そう?そんなのあったっけ?二人合わせて二百歳とか?」

「ばぁか。僕の方が十も年上なんだから、それだと君が九十五歳で僕が百五歳

ってことになるだろ?そんなの不公平だし、そんなに生きられないよ、僕。」

「あ!ああーダメー先に死んじゃ。死ぬときは一緒!一緒がいいわ。」

「ダメだなぁ。百歳になるまで一緒にいようって話をしてるのに、なんで一緒に

死ぬ話になるんだい?縁起でもない。」

「ごめんごめん。つい、そんな話になっちゃっただけよぅ。」

「ま、仕方ないな、僕たちはもう年なんだからね、ハッハッハ・・・ゴホッゴホッ!

ゴホッ!ゲボゲボ!」

「だ、大丈夫!どうしたの?」

「グオホッツぐぉグオッホ!」

「しっかり!背中さするね!」

 春代はゆっくり秋生の広い背中をさする。肩を揺らして咳き込んでいた秋生

も徐々に落ち着いて、平常の呼吸に戻ってきた。

「はぁはぁ、少し歩いた後だったのに、大きく笑っちゃったから、なんか喉が

かしくなったみたい。やっぱり、季節の変わり目は喘息がでるなぁ。」

「そうね、気をつけなくっちゃ。喘息で息ができなくなっちゃうこともあるん

でしょう?」

「うん、喘息は侮れない。息が詰まって、若い人でも死んでいった人を、

僕は何人も知っている。」

 ああ、嫌だ嫌だ。病気なんていやだ。病気も嫌だが、加齢も嫌だ。だけど嫌

だと言ってもやってくるのが老いだものね。それからしばらく自然の風を楽し

んだ私たちは、またゆっくり歩いて住まいに取って返し、二人して秋生の部

に戻って休憩した後、静かにエッチした。エッチと言っても、私たちのは、

静かで可愛いものだ。若い頃のようなことはない。少しキスをしてから、お

互いに服を脱がせ合い、陰部を密着させて抱き合うのがメイン。秋生があ

まり元気じゃないとき等は、挿入しないことさえある。それでも愛し合ってる

二人にとっては、裸の皮膚を合わせ合うことが何よりも大切なことなのだ。

夕食の時間が来るまで二人でベッドで過ごし、薄暗くなるまで仮眠する。

そして頃合いを見計らって夕食をしに食堂へ向かうのだ。

 それから一週間ほど過ぎたある日、太陽がだいぶん高くなった時刻に、いつ

ものようにお散歩に出かけようとって私は秋生の部屋のドアをノックした。だ

が、返事がない。胸騒ぎがした。管理人さんに部屋の鍵を開けてもらう。秋生

はベッドの中にいた。だが、もう、呼吸はしていなかった。口の周りが涎で汚れ

ていた。発作だ。明け方、喘息の発作に襲われたのだ。遺体はまだ少し温か

かった。秋生、享年八十九歳。春代は八十四歳。老人ホームに暮らす恋人た

ちの晩春の出来事。

                               了


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